「悪魔」の読書感想文
この小説は10ページ足らずの短編であるが、かなり多くの事を考えさせられる内容になっている。この小説は10ページ足らずの短編であるが、かなり多くの事を考えさせられる内容になっている。
あらすじとしては語り口調で織田信長の時代の伝記の古写に書かれた伴天連(キリスト教の宣教師)のうるがんが姫の輿の上にいた一匹の悪魔を捕らえてその悪魔とのやりとりが中心になっている。
作中で説明される悪魔の容姿は現代のテレビゲームやアニメで見られるコウモリの翼を持つそれに準じていて、最後は“うるがんよ。悪魔と共に我々を憐れんでくれ。我々にも亦、それと同じような悲しさがある”と締めくくり大正7年6月と記して終わっている。
大正7年は西暦に直すと1918年になり、2018年現在からちょうど100年前になる。古写本の記述として話が進むが、話の中でうるがんが捕まえたその悪魔は一般的な人間が想像している悪魔の様なものとは異なっていて悪魔なりに苦悩している様は非常に人間じみているとして捉えられるかもしれない。
また、その悪魔は悩まなければ捕まる事もなかっただろうと作中で述べている辺りも非常に悪魔らしからぬ発言と言えるのかも知れない。
そういった悪魔の発言と文末の我々にも亦、それと同じような悲しさがあるという1文を繋げて見たらどうだろうか?この小説の中でうるがんに捕らわれた一匹の悪魔は人間の業の深さを象徴している存在と考える事もできるだろう。
悪魔は姫を堕落させたいという思いと、姫の清らかな魂を見てしまったが故により清らかにしたいという二つの真逆の思いが悪魔の中で交錯し、そうして悩んでいたところでうるがんに捕まる様なはめになったとうるがんの問いかけに答えているが、我々現代人も同じように真逆の二つの感情に悩まされる事は多くあるのでは無いだろうか。
あるいはもっと複雑な思考に苛まれてはいないだろか?そういった事からミスを犯してしまう人もいるだろう。そう。悪魔が苦悩したが故にうるがんに捕まってしまった様に。つまりこの小説の悪魔は人間そのものが持つ悲しさを短い文章で表現しているのだろう。
(20代男性)
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