「杜子春」の読書感想文①
お金があればあんなことが出来る、贅沢な暮らしが出来る、行きたい所へ迷わずに行ける。色んな人にも会いに行ける。使い道次第では人助けたって可能になる。
だから私は元々お金が大好きな事は悪いことでは無いと思うし、世の中の金持ちを嫉妬するよりも心に余裕がある彼らを見習いたいと思う事は多い。
しかし、東日本大震災が起きた時、海岸沿いの町は一瞬にして津波によって壊滅させられたことは記憶に新しい。
もし自分がそこにいて、なんの不自由もなく暮らせる家、財産、車、土地、家族等を津波によって流されてしまったら、と考えると金やモノに執着し続ける事が果たして正しい事なのかわからなくなってくる。
むしろ、全てを失ってしまった時、初めて人は、他人と他人の繋がりの大切さを実感させられる気がしてならない。
震災の時のテレビでよく見た、寝る場所も食べる物も無く、これからどうすれば良いのか露頭に迷った時寝床を貸してくれたり声をかけて震災なら配給をして助け合う人々を見ると、お金なんてくだらないなと感じた。そして、多分自分の人間嫌いは克服出来そうな気さえした。
しかしわかりやすく天災でも起きなければ人は自分以外の人間に手を差し出す事は中々しないだろう。この物語はまさしく、そんな人間の正直な姿を描いている。主人公の杜子春は、無一文で寝る場所もなく彷徨っていた所を、通りすがりの老爺のアドバイス通りにした。
すると一晩で、筋金入りの大金持ちになる。今まで杜子春を無視していた人々とも交流をしたり宴など贅沢三昧に暮らす。しかしまた貧しくなり、杜子春に話しかけてくれた人々も無一文と杜子春には話しかけようともしない。
恐らく極端な話かもしれない。しかし人々は自分の益になる事でしか人を見ていない。私達も出世などの為なら上の言う事はよく聞いて、顔色をうかがう。結婚したい男の条件はカネがあること、になる。
私も綺麗事は言わず、どちらかと言えば収入が安定している人の方が暮らす上でも安心だとは思う。しかし前に述べた震災のような予測できない事が起きれば、もうそんな条件は無意味だろうと感じる。
杜子春は金持ちと貧しい身分を暫く繰り返し体験することでそれを学ぶ。そして最終的には自分が本当に大切なモノに気づく。だから常に考えなければならないと私は感じた。それは、「もし最悪の出来事が起きた時どうするのか」「何が残ったとしたら自分は幸いなのか」という事だ。
このような問いを自分に常に投げかければ、本当に大切なものや、人との本当の繋がりの大切さや、お金を絶対視する拘りが滞っている考えである事に気がつけるのだな、の感じることが出来た。
(20代女性)
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