読書感想文「好奇心を“天職"に変える空想教室(植松努)」

 
子供は素直だと思う。日常の全てが興味、不思議、謎でいっぱいだからだ。「好き」の気持ちでいっぱいなのだ。大人になっても出来るだけその気持ちは大切にした方がいいと思う。でも、大人は常に目の前の現実を見て日々闘わなければならない。それも自分を押し殺して。そこに大抵、「好き」という2文字は存在しないし、大人になれば子供の時のような純粋な夢を持てば「お前は馬鹿か?現実を見ろ」と言わんばかりに一蹴されるのがオチだ。
 
著者の植松努さんは、まさしく「好き」を子供の頃から追求し続けて今も尚、大人になってもその「好き」を追い続けている一人である。『「好き」があるなら諦めないで』、という彼の繰り返しの言葉に、私は「自分もそんな人になりたい。羨ましい」と思った。私にも確かに好きなモノは沢山ある。けれど全て中途半端だし、どれを取っても追求し続けられるモノは恥ずかしながら殆ど無い。
 
少しでも厳しい現実を目の当たりにすると「ダメだ。無理に決まってる。」と自己完結を無意識で決めてしまう諦め癖がついているのだ。そして日本人の多くがまるで私の分身のように夢を諦め続けてきた人間ばかりなのかもしれない。この本を読み進めていくうちに私はある言葉と出会った。それは「『どうせ無理』という言葉をこの世から無くしたい」である。

 
 
 
私もこの言葉をどれだけ言われてきた(自分で自分にも暗示のように言っていた)のだろうか。この一言だけで夢も好きも全て潰されるのだから怖い言葉だと思う。私には「どうせ無理をこの世から無くす」という大義は一生かけても本当に「どうせ無理」のような気がするが、せめて自分自身に無意識のこの呪いのような暗示をかけるのはもうそろそろ本気で終わりにしたいと思う。
 
そしてその呪いの言葉に対して代わりの魔法の言葉なるものを見つけた。それは「だったらこうしてみたら?」である。やった事もないのに若しくはやったのにうまくいかなかった。私は生まれ持った特性もあり、何度も「どうせ無理」の経験をしてきた。諦めざるを得ない部分も多かったのだ。しかしこの言葉は、新たなる可能性を提示してくれる魔法の言葉なるものに違いない。諦めるとは別の方法があったのか!といい歳をして発見してしまった。感激だった。
 
私も諦め癖がついた残念すぎる自分自身に対して「だったらこうしてみたら?」と無意識に諭す自分になりたい。子供のように素直な気持ちで捉えて、それを少しずつ出来るようにしていきたいと強く想った。そして出来れば人に対してもそう口に出来るようにいつかはなりたいものである。
 
(20代女性)
 
 
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