読書感想文「舞姫通信(重松清)」

「僕達は生きてなくちゃいけないんですか?自殺をするのはよくないことなんですか?」自殺志願者である、城真吾が周りの人間に、読者に、そして私のほうを見つめながら問いかけてくる。なんと答えたら良いのか、そもそも答えられるものなのか、私にはできなかった。

 

ある女子校で不定期に配布される紙、それが舞姫通信である。誰が書いているのか、発行しているのか、何もわからない。登校すると教室に配布されており、特に新入生は突然のことに驚く。その「舞姫」も私に尋ねた。まるで訴えるように。

 

舞姫は言う、「生まれる時は親に任せた。でもそこからは自分の人生。死ぬ時は自分で決められる。その権利が私たちにはあるんだ。」と。誰もそんなことに気づかなかった。きっと今までは親や先生、友達との愛情や友情の間に挟まって隠れていたのだろう。

 

しかし、それはきっとかけがえのないぐらい、大切なこと。人間はいつだって生まれることができるし、死ぬことだってできる。これは何も新しいことではなく、生まれたときから人間の中にあるものだ。でも、一人一人が気づけなかっただけで、わかっていても深く考えなかっただけなのだ。

 

私は何度か自分を殺した。城真吾や舞姫と理由や目的は違っても、思いは似ていたかもしれない。自分で自分の最期を決めたいと思った。たくさん考え、できるだけ後悔せずに、と。それは世の中で1番贅沢なことかもしれないが、そう強く思っていた。その思いが結局自分を殺してしまった。

 

私の中に残ったものは、自分をコントロールする人間、それだけ。しかし、私はここにいる。外見だけであってもここにいる。しかし舞姫は強かった。だから、空を舞い降り、大地を全身で抱きしめることができた。それも高校の庭で。

 

私という人間は弱かったのだろうか。これを未遂というのだろうか、それともただの素振りだったのだろうか。どちらでもいい。ただ、これで終わりだと思ったときは楽になれた。気持ちがすうっとした。何かに終われ、疲れてやっとたどり着いた瞬間、救われた気持ちになれた。

 

舞姫もきっとそうだったにちがいない。少なくとも私はそう思う。また、城真吾は「ゴールの瞬間を充実させたい」とも言った。死ぬための生き方、とも言った。人間は一人一人全く違う。だから、彼の気持ちを全て理解できるなんてことはできない。でも、生きる目的なんてどんなものであっても、他者が評価するものではないと思う。

 

私は、この本を何度も読み返した。そうしたら答えは見つかるんだろうかと思いながら。時々、「生きている」と「死んでいる」の違いがわからなくなる。科学的にいってしまうと簡単だと思うが、なにかが違う。「あなたは生きていますか?」と尋ねられて、自信を持って返事できるかがわからない。

 

本を読み返しながら、状況も何もかも違うのに何かが共通し、彼らに共感した。答えを探し出そうとすること自体、間違っていたんだと思った。答えなんて始めからなかった。ただ、生きていることが必ずしも幸せだということはできない。たとえどんなことがあっても。と同時に、長い人生のほうが短い人生よりも素晴らしいとも言えない。

 

でも、生きている=いつでも死ぬことができる、ということは忘れたくない。それから、生きている限り「終わり」はない。舞姫は私にいろいろなことを教えてくれた。恐れずに、生きているということを実感しながら今を過ごしていきたい。

 

(30代女性)

 

 

 

舞姫通信とは、中学生のとき、私がこれまで一番、衝撃的、かつ悩ましかった著者、重松清の作品である。この話は、一言で言えば「死すこと」についての本である。思春期ならではの、何もかも投げ出してしまえる死への憧れは、誰でも感じたことがあるはずだ。

 

言ってみれば自殺の憧れである。まだ熟していなかったあの頃は、その行為こそが誰も成し得なかったこと、すなわち後に渡って伝説になるにも感じられたはずだ。私は中学生の頃、自殺はいけないことだと分かっていた。だが、その”禁忌”を犯した、まだ未成年である子のニュースが流れるたびに可哀想と思っていた反面、

 

自ら最期を決められるという事実をその年でちゃんと知り、そして理解していることと、自殺した子が大人の正論的な意見など気にしないで、曲がっていたとしても自らの意思で”それ”を成したことに、少し羨ましいとも思ってしまった自分もいたのだ。

 

世間から言わせればそれは不謹慎なことであって、死ねるということは極めて悪である。人間、誰しもこの世に降り立った瞬間から、生きる希望を見出していかねばならないのだと、彼らは本気で信じている。それは正論だ。そうあるべきだと私も思う。

 

だが、思春期であった私たちは、大人の体へと変わっていくと同時に心も大人にならねばならなかった。外側は何の気兼ねもなく大人へと変わっていくのに、内側だけは苦痛を味わいながらも自らの力で成長しなければならない。それでは、どうしても精神、情緒不安定になるし、自分の価値は何なのか、生きるとは何なのか。

 

そういった人生哲学を考えるきっかけになってもおかしくはない。それによって、死について考えることも決しておかしくはないのだ。だが、大人たちは「死」を否定し、なるべく子どもたちに「死」を遠ざけようとする。舞姫通信とは、道徳心によって遠ざけられた「あってはいけない死」とは何なのかを考えさせてくれた本だ。

 

私はこの本に出会えてよかったと思う。それも、まだ殻を突き破れていない、心と身体のちぐはぐさが目立つ中学校時代に、出会えたことに感謝したい。大人である重松清さんが、不道徳な事柄をあえて文字に起こしてくださったことで、中学校時代の私は救われた。

 

これからも、私が血迷った日には、辛辣で、強烈ながらも、生きていく上で大切なことを教えてくれるだろうと思う。

 

(10代女性)

 

 

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