読書感想文「ウエハースの椅子(江國香織)」

生きていくことは、孤独とどのように折り合いを付けていくかではないかと思うことがある。人と触れ合ったり、近くなったりする喜びを感じた後で知る、何とも言えない違和感。砂のような小さな異物が徐々につかえになる。気づかぬうちに。

 

いや、気づいてもなお。初めの喜びがあるから、認めたくなくてあがくことになるのだ。主人公は、何でも分かってくれる優しい恋人と、濃密な行き止まりにいる。互いにすべてが満たされる幸せな時間を過ごす。大人の関係は、侵食してはならない領域があると知って互いに割り切って関係を維持しているようにみえる。

 

せつないね、かなしいねの言葉の温度差や意味合いも互いに一致しているように感じている。錯覚に過ぎないのに。主人公は、大人の顔を保ちながら、幸せを生きていた。人を感じ、人と触れ合い、人とすべてが重なり、ある意味、最高の喜びの時間ではなかったろうか。

 

 

こちらが投げたボールを全く同じ形のまま受け入れてもらえることは、またその逆も、まれにしかないことであるがゆえに、その時に感じる歓喜はほかに代えられないものである。本当は、現実にはあり得ないのかもしれないくらいまれなこと。

 

主人公が、行き止まりで、徐々に死に近づいていこうとするとき、もし、彼女がこどもっだったらどうしただろうと、ふと考えた。泣くであろうと思う。泣いて叫んで、必死に訴える。ほしいものの色や形をにおいや手触りを。しかし、相手は全てわかっていると頷きながら、似たようで違うものを欲しがっていると理解する。

 

彼女には似ているけれど相手が受け取ったそれが明らかに違うことが分かっている。似ているけれど、別のもの。そう感じながらも、子供の彼女は、それを、泣き叫んで必死に訴えた結果得られたものとして、諦念をもって受け入れるだろう。大人の顔をになった主人公は泣き叫ばない。

 

行き止まりで、静かに真綿で首を絞められるように、精神と肉体の活動を停止させていく。全編を通して、感情を表現する言葉や、感情に直接かかわるような表現がないにもかかわらず、私も、徐々に徐々に身体が沈んでいくのを感じて苦しくなった。

 

孤独の底をついたとき、彼女は再生へと向かうが、恋人は、以前と全く同じように、すべて分かっていると頷いた。これから、また表面上は淡々と同じような日を、生きていくのだろう。もう彼女の心は行き止まりにはいないのに。

 

(30代女性)

 

 

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