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読書感想文「思いわずらうことなく愉しく生きよ(江國香織)」

「思いわずらうことなく愉しく生きよ」の読書感想文①

私はこの本を何回も読み返した。学生の時に出会って通学の時間に読み、社会に出てからは休みの日に読み、つい最近結婚してからまた読んだ。そして感じたことは、自分の置かれている状況によって共感するキャラクターがここまで変わるのかということだった。
 
三姉妹の恋を軸にして進められるこのストーリーは簡単に言えば恋愛小説の一言で終わってしまう。しかし、姉妹の間の強い絆や離れていても消えない家族の存在をそれぞれの恋愛を通して強く感じさせる作品でもある。だから私はこれを単純に恋愛小説として自分の中に収めたくないと思う。これだけはどんな状況で読んでいても変わらず抱く感情だ。
 
内容は、タイトルから受ける印象よりも大分重いもののように感じた。内輪で繰り広げられる物事特有の濃すぎる空気やどうしても切れない家族という絆。逆に、どれだけ深く繋がっていると思っていても切れる時にはあっさりと切れてしまう恋愛関係の絆。それらが全体的に密な空気を作り出しているように思えた。
 
しかし同時にその密な空気が温かく、改めて家庭や家族の存在の大きさを再認識させてくれた。温かく自分を無条件で受け入れてくれる安心できる場所。そんなものは自分が生まれた家庭にしかないと思う。いつかは出なくてはいけない場所ではあるが、確実に自分が安心して過ごせる場所があるということがどれほど個人にとって大きく良い影響を持つのだろう。
 
内容の割に最後まで穏やかに読めたのは、この独特の空気が与える安心感のおかげだろうと思えた。この作品を読み終えて感じたことは、大まかに言うと家族を大事にするということだけだった。しかし、大事にしかたについてよく考えさせられた。独善的にならずに、いくら家族といえども距離感を大切にする。
 
心地よく愉しく過ごすことばかりが家族の良さではなく、時には苦しい事にも立ち向かわなくてはいけない。その時にお互いがどんな役割を持って手助けができるか。これを理解するのが大切だと思った。こんな風に家族との関わり方を考えた事がなかったから正直事務的だな、とか薄っぺらな内容のハウツー本に書かれていそうな内容だなとは思ったが、それができているかと聞かれると自信を持って首を縦には振れない。
 
この本は私にとってのテキストであり、これから新しい家庭を作り上げる為の少し遠回しな覚書のような存在になりつつある。本を開くたび家庭の温かな空気と、家族とはなんなのか、という事を思い出しこれからの家庭の構築にほんの少しでも役立てていこうと思う。
 
(20代女性)

「思いわずらうことなく愉しく生きよ」の読書感想文②

“思いわずらうことなく愉しく生きよ”タイトルが目に入った瞬間、私の心は風にふかれた大木の如くざわめいた。この頃の私はうまくいかないことや気苦労の種が何かと多く、このタイトルはゴンゴンと鐘が鳴り響くように私の胸に響き、そして衝撃を与えた。本を読む前から私は繰り返しこのタイトルを読んだ。
 
まず“思いわずらうことなく”という言葉が素敵だ。わずらわしいことだらけだった私にその言葉はとても甘美に思えた。字面を見るだけでわずらわしいことは薄く薄くなり、声に出してみると本当に消えてしまうんじゃないかと思えたほどだった。そして“愉しく”という言葉。“楽しく”ではない“愉”という文字。
 
愉快だとか愉悦とかに使われているこの文字が人生は本当に愉しく生きるべきだということを強く主張しているように思えた。そして私は考える。人生を思いわずらうことなく愉しく生きることが可能なのだろうかと。この本は3人の姉妹のそれぞれの恋愛を軸に進んでいく物語だ。
 
ちなみにタイトルの言葉は姉妹の父親による家訓である。長女の麻子は優しいしっかりもので既婚者、次女の治子はばりばりのキャリアウーマンで奔放な性格、三女の育子はマイペースな変わり者だが家族思い、3人とも仲が良く時々一緒にご飯を食べたりお酒を飲んだりするほほえましい姉妹だ。
 
しかし3人の恋愛にはそれぞれ癖があり麻子は夫からDVを受けているし、治子は同棲している恋人がいるにもかかわらず昔の男と関係を持ったり、育子は友達の恋人と何度も寝てしまうなどめちゃくちゃだ。だけど物語を読んでいるうちはそれをめちゃくちゃになど感じない。
 
それぞれの性格と行動があまりにも一致しすぎてなんだか納得できてしまうのだ。治子のセリフに印象的なものがある。「自分のやったことに後悔なんかしないわ」というセリフ。昔の男と関係を持ったあと男に後悔しているかと聞かれたあとの治子の答えだ。しかしその前に治子はやってしまったと心の内で思っているし、男にもじゃあそんな顔をするなよと言われている。
 
何かがひっかかっていることを間違いなく感じているのにそれでも治子は後悔をしないのだ。これはもう意思の力である。強がりでもなんでもなく本当に治子は後悔をしていないしこの出来事を重大なこととしても認識していない。好ましくないことをやってしまっても後悔しないでいられるということが新鮮で驚いたし、なによりその強さにあこがれを感じた。
 
ただし結局この件をきっかけに恋人を失っているので素直にあこがれられない部分もあるが。意思といえば育子の付き合っている男の言葉にも衝撃をうけた。「恋愛は感情で始まるものかもしれないけれど、意思がなくちゃ続けられない」これには納得してしまったしそんな自分が少し嫌でもあった。一方育子はこれに全面同意し「ルールがあるのはすてき」と答える。
 
今まで私は恋愛に意思というものが必要だとは少しも考えたことがない。恋愛は感情と衝動でできていると思っていた。少なくとも若い頃は特に。しかし結婚した今、何度も別れたいと思ったこともあったし、嫌いになったこともあったが、それでもこうやって結婚生活を続けているのは紛れもなく意思の力だと思って納得してしまった。
 
しかしこれは結婚生活の継続においての話で“恋愛”において意思が必要かとなると少し悩んでしまう。ただ自分を娼婦みたいなものと称した育子には確かに意思というものが自分を律することのできる唯一輝いて聞こえた魔法の言葉だったのだろうと思うとそれは胸にすとんと落ちた。
 
現に育子はこの意思の力によって友達の恋人からの誘いをきっぱり断ることができている。
この本に登場する人物はみんなそれぞれ強くて気持ちがいい。自分の行動にすべて理由がある。なんとなく行動する人がいないのである。それは麻子に暴力をふるう夫ですらそうだった。
 
それぞれみんな自分がそうしたいからして、許せないことは許せない。言いたいことは言う。いろんなしがらみでごちゃごちゃしていた私にはそれはとても清々しく気持ちよかった。誰もが自分の欲求に正直な物語だった。例え他人から見てそれは変だと思う事でも本人がきちんと納得できればそれは紛れもない自分の真の行動なんだと思う。
 
姉妹3人で食事をしているときに麻子は言った。「私たちはたぶんのびやかすぎるのよ」と。心の底から私ものびやかに生きたいと思ってしまった。私はきっと人目を気にして縮こまっているんだろう、でもこんな風に自分の筋を通してのびやかに生きてみたいと心の底から思った。
 
思いわずらうことなくことなく生きるのはまだまだ難しいけれど、考えががちがちになって、助けてくれる人もいない、追い詰められたとき、私はいつもこの本のタイトルを思い出す。“思いわずらうことなく愉しく生きよ”そしてそのたびにふっと心が軽くなるのを感じるのだ。
 
(20代女性)

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