読書感想文「神様のボート(江國香織)」

神様のボートは、信じ切る人が救われた物語である。主人公・葉子が信じたものは、“いるかいないかもわからないかつての恋人”。「骨ごと溶けるような恋」をした相手に突然別れを告げられ、「かならず戻ってくる」と言われた言葉だけを信じ、その後一切の連絡が取れなくなっても再会を待ち望んで生活している。

 

恋人との間にできた子供・草子と一緒に、恋人以外の人・場所になじんでしまうと再会できない気がするという理由で、引っ越しを繰り返しながら二人きりで暮らしている。別離から15年以上経っても、相変わらず恋人との再会を待ちわび、「私は、あのひとのいない場所になじむわけにはいかないの」、「神様のボートに乗ってしまったから」

 

と娘に言い聞かせ理想の世界を生きる葉子と、成長して自我を持ち、自らの意志を主張し始めた娘の草子との間に距離が生じ始める。母娘が離れ離れになってから葉子は、「いつ死んでしまってもいい」と思うような精神状態の中、徘徊するように街をさまよい、たどり着いた一件のバーで、探していた“あのひと”に再会する。

 

一日も恋人の言葉を疑わず信じたことで願いを叶えた葉子だが、それにしても、どうしてこんなにも恋にのめり込んでしまったのだろうかと不思議に思えてならない。物語を読み進めていくうち、葉子のその盲目的な生き方は、おそらく、葉子にとって“あのひと”が、ずっと探し求めていたものそのものだったからではないかと思い至った。

 

葉子は学生時代、友人に怪我をさせたり、髪を派手な色に染めたり、家出をしたりと、やんちゃな行動で家族を困らせていた。その奔放で無鉄砲な行動の裏には“どうすればいいのかわからない”という気持ちが漠然とあったのだと思う。しかしそんな葉子が、“あのひと”に会ってから突然変わったのだ。

 

「生きていてもよくわからなかった。どうすればいいのか、どうしてもっと生きなくちゃならないのか。あのひとに会うまでは。」それからは、運命の恋に出会ったことでみるみる気力を取り戻し、生きる意味を見いだし、さらに生きがいにすら一度に手に入れてしまった。

 

そして葉子自身が、“あの出会いが何かを変えてくれた”と実感したからこそ、盲目的に、熱狂的に、恋を信じ切るような体質になってしまったのだと思う。葉子は「一度出会ったら人は人を失わない」と思って生きている。その圧倒的な生き様は、何年も連絡を取れていない人が、今も自分を探しているのだと信じ切り、

 

「あのひとと一緒にいることはできなくても、あのひとがここにいたらと想像することはできる」、「あのひとがいたらどうするか。それだけで私はずいぶんたすけられてきた。」と開き直れるほど力強いものである。葉子は浮き世離れしている。恋人との思い出の音楽を聴いたり、今までに言われてきた言葉を思い出したりして現実逃避することで何とか生きている。

 

葉子はとても強い女性だと思う。葉子の考えに触れ、何か、絶対的なものを信じている人の強さに感銘を受けた。物語の最後に、念願叶って恋人に会うことが出来たとき、15年以上毎日毎日それを望んでいたのに、その再会をすんなりと受け入れている。たぶん、“あのひと”はいつでも葉子のそばにいたのだ。

 

目の前にいなくても愛する人と繋がれている実感を持ち、不可能とも思える再会を実現することができたのは、運命でも偶然でもなく、葉子の“信じ切る力”に他ならない。恋のために生き抜いた力強い女性・葉子は、盲目的にその恋を信じ切ったことで、自分で自分を救い、そして最後に救われたのだ。

 

(20代女性)

 

 

 

 

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