読書感想文「重力ピエロ(伊坂幸太郎)」

何かを愛する時、決め手となるものはなんだろうか。相手なのか、自分の気持ちなのか。許すという行為は、自分のためのものなのか、それとも誰かのためのものなのか。人は皆、ピエロのように仮面をかぶって生きている。
 
笑顔の自分、悲しそうな自分、怒っている自分、嬉しそうな自分、そして、大好きで大嫌いな本当の自分。主人公の出生は、決して喜ばれるものではなかった。本人はそれを自覚していて、悩んで、苦しんで、結局は仮面を捨てて生きていた。
 
主人公が本当の自分と向き合うことができたのは、他でもない愛のおかげだった。考えれば考えるほどわからなくなる世界の中で、自分は何をすればいいかわからない、そんな風に感じることが多くある。そんな中でも主人公は自分を考える道を選んだ。
 
愛されることよりも、愛することの方が難しい。形のないものを信じ、さらには自分も信じなければならないからだ。そもそも愛とはなんであるのか。最上級の好意の表現だろうか。形容できない他人に贈る気持ちだろうか。それとも、偽りから生まれる自分も他人も騙す気持ちだろうか。
 
私は、今までなにもわからなかった。答えなんてないものだと思っていた。いや、考えることを放棄していたのかもしれない。私はこの本の中の一文に答えを見つけた。「楽しそうに生きていれば、地球から重力なんてなくなるさ。」分かるようで、わかりにくい一文だ。
 
でも、確かに心の刻まれていく。これは、楽しく生きろというメッセージではない。あくまで楽しそうに生きていればである。真実でも、虚実でもいいから、自分の好きなように生きていればいい。私はそう読み取った。重力はなければ困るものである。
 
しかし同時に、自分たちを縛り付けるものでもある。私たちは大きな矛盾の中でも生まれ、矛盾の中でも死んでいく。だったら、矛盾を抱えて生きていけばいい。何かにとらわれないこと、それが正であろうと負であろうと。これこそが愛と呼ばれるものではないだろうか。これが、私がこの本を読んだ感想である。
 
(20代男性)


 

 
 
 
春が空から降ってきた何よりもこの一言がこの物語の出だしをグッと引きつけるどういうこと何で春が空から降ってくるのその感情を抱いたまま物語が始まる出だしとしては最高の疑問符を読者に投げかけることに成功しているのだ
 
この物語は親子の絆について書いている物語だがその親子の絆というのが曲者で何となくボンヤリと抱いている家族にとっての絆というのが実は単一化されたものではなくて多種多様な形であることを伝えている社会を構成する様々なものに縛らている私たちがいかに滑稽なピエロだったかと教えられるこの作品
 
登場する人物たちの多くが魅力的であると同時にどこか非常識なのだそれはきっと彼らが常識を乗り越えて重力にさえも抗う空中ブランコにのったピエロだからなのだと私は感じたもちろん空中ブランコは失敗することもあって家族や人間関係が上手くいかないことも沢山あるだろうそれでも例え落ちてしまうとしても空中ブランコを飛ぶということが肝心なのだ
 
もちろんわざわざ常識の枠から外れなければ苦しむこともなかったであろう問題も沢山出てくるだけどそれらすべてを受け入れてしまおうという強い意志を持った家族が主人公 泉水を中心とした奥野家には確かにある笑顔でいられないような悲しい出来事や心が引き裂かれるような苦しみ
 
それでも前を向いていくのだという前向きな気持ちがこの作品の根底にはあってそれが異常なほどの透明感を作品にもたらしている死別やレイプ放火といった重いテーマにも拘わらずとても読みやすい仕上がりになっているのはおそらくこの透明感のおかげではないだろうか
 
そしてそれがこの物語をより一層切ないものにしていくのだから作者の文才には嫉妬すら感じてしまうそれぐらいの良作なのだ読み始めると続きが気になってしまい止まらない重力ピエロ読めば自分が様々な重力に縛られていることに気づかされるだろう
 
(30代男性)
 
 
 
 
 

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