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読書感想文「グロテスク(桐野夏生)」

「グロテスク」の読書感想文①

やはり桐野作品。容赦なく抉りに抉って、という展開に 読み終わって一言で言って 疲れました。「わたし」、和恵、ミツル、ユリコそしてチャンとそれぞれに語られるが、互いに整合性のない箇所が多々出てくる。誰がウソを言っているのか分からず いつしか私も迷路に迷い込んでいった。
 
互いの会話は 応酬となりどんどん踏み入ってはいけないゾーンへと行ってしまう所は 胸が痛かった。「わたし」や和恵、ミツルはいつも誰かに承認されたい欲求が第一義で生きるのに対しユリコは自分の快、不快に忠実に従って生きているように見える。悪魔的な美貌を持って生まれ、人から当たり前のように賞賛されてきた為、もう他からの賞賛など必要ないのだろう。
 
羨ましい限りだ。只 今の日本の社会は、巨大になった女性の快を受け入れる器はないだろう。快を発現していけば自ずと 発酵ではなく腐敗するしかないのだ。あれだけ美しかったユリコが35歳にして見る影もなく ブヨブヨとした醜い中年女になるとはなんと残酷なことか。
 
だが、見方を変えればユリコこそ自分の美のみをたよりに、ブレることなく生を全うしたのだろう。なんと贅沢な人生だろうか。「わたし」を評して”悪意が滲んだ顔”とはなかなかストレートすぎる表現だ。実際「わたし」の悪意は読んでいて胸クソが悪くなるほどだ。
 
私はこれまでそこまでの人物に人物に逢った事があるだろうか、などと綺麗ごとは言わない。誰の中にも「わたし」のみならず 和恵、ミツルがいるのだから。それにしても このQ女子高のすさまじいヒエラルキーには身震いする。
 
だが、それが想像を絶するという意味ではなく、大なり小なり 私も学生時代に味わったものだから。だから読んでいて忘れていた古傷から 血が流れるような痛みを感じるのだ。しかしこのヒエラルキーそのものが 男性社会が作り上げたもの知れない。
 
男性から見たあるべき女性像、男性の庇護の下に置かれた作られた女性像、そんなものが底辺に見え隠れする。特に和恵の生き様にそのようなものを強く感じた。同じ娼婦になっても ユリコとは全く違う。だが、ラスト「わたし」が和恵の意思を継ぐかのように娼婦になる。どう処して行くのか見てみたいものだ。
 
(30代女性)

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