読書感想文「ブルーベリー(重松清)」

若いときの自分のことって覚えているようで覚えていないものなのだな、と感じた。未熟でうまくできていなかったこと、若気の至りとかそんな言葉でうまく記憶に閉じ込めてしまっていたこと。若いうちに失敗を重ねた方が役に立つ、それを思い出してちょっと苦い思いをすることも大切。でも、ちょっとだけ思う、もう少し優しくできなかっただろうか、もう少しやれたことがあったのではなかろうか。そんな思いがパーッと溢れてくる、「ブルーベリー」を読んだ後に。

 

私自身が女子学生だったから、「ブルーベリー」に出てくる「なんとなくカノジョがほしい」みたいな男子学生はいたな、と少し笑ってしまった。でもそんな彼らは彼らなりに学生時代を生きていて、それはそれでいいのだろうなぁと当時も思ったし今も思う。

 

 

この短編集で一番印象に残ったのはやはり「僕と少女とブルーベリー」の話だった。経済的に桁違いに恵まれているような子の家庭教師をしたことはなかったが、この話に出てくるユウちゃんの寂しさが胸に迫ってくるようだった。ユウちゃんの態度で、言動で、寂しさをずっと耐えてきてしまったことを感じるのだが、きっと私が10代だったら「僕」のように何もできなかっただろうし、そしてもっと悲しいことに大人になった今でも何もできないのかもしれない。

 

そんなことを思いながら、自分自身が家庭教師をした女の子のことを思い出す。そして私なりの苦い思いをそこでもまた噛みしめるのだ。「さらば愛しき牛丼」で出てくるフレーズ、「ちょっと傷つくようなことを悪気なく口にする、そんな鈍感さも真面目な女の子にありがちな話だ」にも苦笑いしてしまった。きっと私自身もそんな鈍感さを持っていた。大人になった今、わかる。周りの仲間の優しさで許されてきたことがきっとそれなりにあったに違いない。そんな気がする。感謝せずにはいられない。

 

「黄昏のイエロー・サブマリン」はなんだか鼻の奥がツーンとするお話だった。古くなった遊園地の寂しさを、この「僕」と似たような世代の自分も知っているからなのだろうか。なんでもないような遊園地、特にTDLができてから「ダサい」認定されたような遊園地。でも小さいときにはお世話になったのだ。どうしてもっと愛情深い目で見なかったのだろう。なくなってしまった今になって思う。

 

もう20年以上ずっと思い出すことなどなかったのに、その遊園地に入ってすぐのところでサルのぬいぐるみがくるくる回っていたことを思い出した。とてもせつない気持ちになる。そして文中に出ていたドリームランドにも一度行ってみたかった、そんな風に思ってしまうのだ。まがいものの海底散歩でもいいから潜水艦に乗ってみたかった。心が揺さぶられる本だった。

 

投稿者:かぼちゃパン(40代女性)

 

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