読書感想文「草枕(夏目漱石)」

理不尽だと感じたり、割り切れない思いをすると、決まってこの本の冒頭部分を思い出す。人生には理不尽なことがつきまとう。その時に、自分にどう言い聞かせ、どう納得するのか。あるいは、どうやってあきらめるのか。それについて、私はこの本で学んだと思っている。初めて読んだのは10代だった。その時は、受験対策の一環としてしか興味はなかった。しかし、読後何かひっかかるものはあった。

 

受験勉強と無縁になり、読書するのに好きな本を選ぶ余裕ができた頃、ひっかかりを覚えていたこの本をもう一度手に取ってみた。改めて読み終えた時に、自分の中に何かストンと落ちてくるものがあった。人の世が住みにくいからとて超す国はありまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の国よりなお住みにくかろう。まずなにより、自分の感じている理不尽さを他の人も感じていたということに驚いた。

 

そんなことは当たりまえのことなのだが、自分のことだけで精いっぱいで、他人の感じていることなどにまるで無頓着だった自分を恥ずかしくも思った。その気づきがあってからは、極力他人を敬まい、気遣うことで人でなしの国の住人とならないようにしている。気遣うことは時に多少疲れ、窮屈かもしれない。皆が思い思いに主張し、行動するのは自由で良いことだと思う。しかし、多少の窮屈な思いがあるからこそ、人の世は均衡がとれて成り立つものだ。

 

皆が、自分だけが、自分だけは、と考えていてはいつか「人ではないものが住む国」となってしまうのではないだろうか。私は、そんな国には住みたくない。そして、明暗は表裏の如く。人生は明るい時ばかりではない。暗い時期があるからこそ明かりもあり、喜びがあれば悲しみもある。

 

疲れた時、つらい時、悲しい時。この時期があるなら、楽しい時、うれしい時、喜ぶ時がやってくることを改めて教えてくれる。私は、負の感情をいつまで引きずってしまう性分だ。ひとしきり落ち込んだら、次にくる「表」を思うようにしている。短い文章のなかに人生について教示してくれた本だと思う。こんな本と出会えて幸せだと思う。

 

(40代女性)


 

 

 

 

名文と呼ばれる文章を読みたくて、私は夏目漱石の『草枕』を読んだ。私は恥ずかしながら今まで『草枕』をまったく知らなかったので、あまりに有名な序文も知らなかった。「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」この序文を読んだとき、私は鳥肌が立った。こんな文章が書ける人が実在したのかとすら思った。

 

読み進めてみると『草枕』には話の筋らしい筋が見当たらなかった。ただ、主人公が時折地の文で語る芸術論が強く印象に残った。主人公が語った芸術論の中で特に好きな一節がある。「四角な世界から常識の名のつく、一角を磨滅して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。

 

この故に天然にあれ、人事にあれ、衆俗の辟易して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅を見、無上の宝璐を知る。」この一節は私に大きな示唆を与えてくれた。常識を破ることで芸術家は芸術家になることができる。一般の人が近づかないところに行けば行くほど芸術を見出すことができるという意味で私は解釈しているが、これは芸術家が持っている普遍的な価値をずばり言い当てた文章だと思う。

 

画家や作家だけでなく、近年流行っているyoutuberなんかにもあてはめることができるだろう。人がやらないことをやってこそ、そこに価値が宿るのだ。美しい文章がいたるところに散りばめられていて、かつ今でも通用するくらいの普遍的な価値を提示しているからこそ、草枕は現代でも多くの人に読まれているのだと思った。ストーリーはただ主人公が旅館に誘われてそこに行っただけなのだ。

 

だからわたしはあらすじだけ見ても「面白そう」とはまったく思えなかった。しかし、文章そのものを味わうようにして読むと非常に含蓄があって面白いと感じる、そんな小説だった。また、『草枕』を読んで感じたことがある。夏目漱石の文章は同時代の作家の中では際立って読みやすいのだ。『草枕』は夏目漱石の中では比較的硬質な文章だと言われているが、それでも現代の私が読んでもほとんどつっかえることがなく自然に読むことができた。

 

(20代男性)

 

 

 

 

草枕

草枕

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(2012-09-27)

 

 

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