読書感想文「こころ(夏目漱石)」

人間はいつ悪人になるのかわからないということをこの作品では訴えている。手紙を読んだ主人公は決して自分はそんなことがないと思っているだろう。まさに若いころの先生がその一人なのである。この作品を初めて読んだとき、私も若いころの先生と同じ感情を持っていた。絶対に自分は人を裏切ることがないだろうと思い、また正義感の塊でもあった。

 

しかし、改めてこの作品を読み、手紙を書いた先生の感情に自分が近づいているとこいうことを認識することが出来た。今までは主人公に感情移入をしていたが、いまでは先生に感情移入ができ、改めて読んでみると作品の読み方が広がったと思えた。読書と言うのは自分のその時の環境や感情で受ける世界が全く違い、見える世界も全く違うのが本当に面白い部分だと思う。

 

先生は作品の中で、恋愛面で大親友を裏切ってしまう。私も今まで生きてきた中で恋愛ではないが、人を裏切ったり人に傷付けられたと思うことは何度か経験をしてきた。また、私の周りで先生のような恋愛をした人間をよく知っている。そのため、私は先生がしたことがそれほど悪いことだとは全く思いはしない。しかし、自分がしてしまったことで人が死んでしまうというのは感情のやり場がないために辛いことである。

 

ただ、この「こころ」を読んで人のこころに絶対というものは本当にないのでないだろうかと私は考えさせられた。絶対に出来ない、絶対に達成できないなどというネガティブなことも100パーセントないので逆転することができると思う。しかし、反対にずっと好きだとか、絶対に信じる、などという100パーセントポジティブなこともないのではないかと思った。

 

本当に人間というのはそれだけ常に不安定であり、常に変わり続ける生き物なのである。だからこそ文学というものに夢も見るし、憧れを求め、愛を探すのだと思う。そして、完璧でないからこそ人間はまた面白いのだと私は思う。こころとは形がないものではあるが、「こころ」を読んで小説というかたちで人のこころに触れることができたと思う。そのことが私は素晴らしいと思う。もちろん時代が進めば人のコミュニケーションの形も変わっていく。

 

私は高校生だったか、中学生だったかのころ、初めてこの「こころ」を読んだ。当時はそこまで感じることが出来なかった「こころ」ではあるが、今回改めてこの「こころ」を読んで人の繋がりや人間の「こころ」について深く考えさせられる良い機会をもらったと思えた。

 

(30代女性)

 

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「こころ」は高校一年生の夏休みの課題図書であった。以降、何度読み返したか分からないほど、私を魅了してきた本でもある。嫁ぎ先にまで、持参してしまったほどだ。何故、何度も読み返したくなるのか、自分でもよく分からないのだが、おそらく先生という一人の人間に、魅力があるのだろうと思う。主人公の「私」が、どういうわけか先生に惹かれてやまなかったように。

 

知性にあふれ、才能も持て余すような有能さがありながら、働くこともなく、親の遺産を少しずつ使いながら隠居のような生活をしている先生。その先生をどこか心配そうに見守り、支え続ける奥さん。ある夜、「私」は奥さんから、夫が何を考えているのか分からない、本当に私を愛しているのか分からない、と苦しい胸の内を明かされる。

 

女としては、身につまされる。一緒に暮らす夫に、何か見えない大きな壁を感じたまま、それが何か分からずに過ごすというのは、本当に辛いことだ。「私」は、先生の家に通い、生身の付き合いと、若さ故の無遠慮な踏み込みで、はからずも、この夫婦の間に横たわる深淵を覗き込むことになってしまう。父親の病気が芳しくないということで、郷里に帰省していた「私」のもとに、分厚い手紙が届く。

 

その手紙に、先生の自殺をほのめかす一節を見つけ、「私」はいてもたってもいられず、危篤の父親を置いて、東京行きの電車に飛び乗ってしまう。そこで、手紙の中、つまり先生の思い出の中に、読者は誘導されていく。東京へ向かう電車の中で、世の中を達観し、全てにおいて悟り切っているような先生を尊敬していた「私」は、それとはうらはらに、俗世の欲にまみれ、振り回された先生の、生身の人間としての姿を知ることになる。

 

親の遺産相続の泥沼の争いに巻き込まれ、人間不信に陥った先生と、その悲しみ、虚しさを埋めてくれた、下宿先の娘だった奥さんの存在。彼女に恋をすることで、先生はとても癒されたのに違いない。ところが、平和な日々は、先生の友達、Kも下宿に来たところから狂い始める。Kは実家と進路問題で揉め、仕送りを打ち切られて勘当され、生活に困っていた。見かねた先生が、下宿に連れてきたのだ。

 

そしてKもまた、ささくれた心を和ませてくれた奥さんに、恋をしてしまう。彼女がKに取られてしまうのではないか…。にこやかに談笑する2人の姿を見てしまった先生は、自分でも抗うことのできない衝動に駆られ、Kには、学問に邁進すると言ったお前が恋にうつつを抜かすとは、などと責め、一方で先に奥さんを手に入れるために、奥さんのお母さんに結婚の申し込みをし、承諾を得てしまう。

 

自らのあまりの卑怯なやり口にKに合わせる顔もなく、気まずく不穏な日々が流れたある日、先生がKに一言もなく婚約を済ませていることをついにKが知ってしまう。その夜、Kが下宿先の自室で、自殺しているのを、先生は発見してしまうのだ。この場面の鮮烈さ、強烈さといったらない。今までの物語が全て、この一点に向かって収束し、時間すらも止まってしまったように感じる。

 

この瞬間先生の全生涯を物凄く照らした「黒い光」を、私自身も以後十数年、忘れることができないでいる。それでも、先生はKが自分の裏切りと卑怯なやり口をなじる言葉が遺書のどこかに残されているのではないかと不安で、自己保身に走ってしまうのだ。金に目が眩んで、エゴ丸出しでたかってきた親戚のために人間不信に陥った先生、もっと愛は高尚で美しいものだと思っていた先生が、恋人をめぐってエゴ丸出しでKを出し抜いた自分に、どれほど絶望的な自己嫌悪を感じたことだろう。

 

そして誰にもその罪を明かせないまま、月命日にはKのお墓に懺悔を続け、Kの恋した奥さんと暮らし続けてきたのだ。先生は明治の精神に殉死すると言っているが、この罪を誰かに明かせる日を待っていたのではないだろうか。そして、全てを打ち明け、懺悔する時こそ、先生が自ら人生に幕を降ろす時でもあったのだ。一番気の毒なのは奥さんだと思うのだが、何も明かしたくないという、先生の気持ちも分からないではない。

 

この内容は、これから先の「私」の人生にも少なからず影響していくと思う。父の臨終に間に合わないことで、兄弟たちとどのようにこじれるか、遺産はどうなるのか、「私」自身も、逃れることのできない俗世のエゴに巻き込まれていくことになるだろう。この本を読むといつもどんよりした気分になるのだが、私自身の中にも潜む、エゴ丸出しの部分が、時折、あの「黒い光」に圧倒されたくなるらしく、数年に一度、こうして読み返してしまうのである。

 

(30代女性)

 

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夏目漱石の『こころ』は高校の現代文の授業の中で読んだ作品である。当時の自分は少し難しい表現をしているので読み終えるのに時間がかかり、初めて小説を読む自分は読むのに疲れてしまっていた。主人公が先生と慕った男性は、自分が愛した女性を友人も愛していると知ったとき、友人Kの先手を打つ形でプロポーズすることで、Kを裏切った。その結果、 Kが自殺するという衝撃的な結果を招く。

 

自らの倫理観に反する裏切り行為によりKの自殺を招いたことで強い自責の念に駆られた先生は、愛する女性を妻にで きたにも関わらず、長年この自責の念にとらわれ続けた結果、自分もまた自殺という選択をしてしまう。特に第三章、先生の遺書の中でのKとのお嬢さんをめぐるところが一番、私には苦しく感じた。親友の想いを寄せている人に恋してしまうという気持ちの苦しさを私は知っていたからだ。

 

結果的に、何も起こらなかったのだが、この経験は根強く残っている。この気持ちは経験者にしかわからないと思う。その時の私は、常に自問自答を繰り返していた。皮肉にも、私達が思いを寄せた人は、明らかに私の方に好意的な態度を取った。そうなると私は、親友よりも恋愛の三角関係に酔っていたと思う。今、振り返ってみると、そこには親友に勝っている、親友より上だという優越感があったと思う。これは、先生にも通じる気がする。

 

容貌、学識、生き方に全てに勝てないKに恋愛についてだけは勝てた。きっと何か一つでもいいからKに勝ちたいという思いが、「抜けがけ」という大胆な手段に結びついたのではないのかと感じた。人を好きになることは、自分の中で眠っていたもう一人の自分を覚醒させるきっかけを与える怖いもののひとつだ。そして、その目覚めてしまった新しい自分をどうコントロールしていくかが、一番の問題である。

 

先生はある意味ではそのコントロールに失敗してしまった人だと 思う。しかし、それだけのことで、残りの全ての人生に対して厭世的になってしまうのだろうか。これは、明治と昭和生まれの時代の差なのだろうか。いま私は大学生になり、改めて読んでみると難しい表現もあったが全編を通じて美しいほどに簡潔、明瞭で表現力に優れた文章で記されていて、読み終えてなお、もっと読みたいと思わせられる素晴らしい作品だと感じた。

 

(20代男性)

 

 

 

私は「こころ」を高校生のときに、現代文の授業の教科書で読んだ。その頃は、先生はどんなに最低な人間だろうと思った。Kがお嬢さんにどれ程、惚れているか、先生はわかっていたはずなのに、抜け駆けして結婚を認められ、それでいて、やましい気持ちがあるから、Kに言わずにいて。そして、Kを自殺させてしまうなんて、と。

 

しかし、今になって改めてこの本を読み返すと、先生の気持ちが痛いほどよく分かる。どうしても、何をしても手に入れたい人はいる。たとえ、親友を裏切ることになっても、先生はお嬢さんを手に入れたかったのだ。そして、手に入れたあとで、親友を裏切ったこと、死に追いやってしまったことを後悔する。先生はひどい人だけど、人間味に溢れ、とても自分に正直で、こころの優しい人だったと今は思える。

 

大学時代に私も、友達と好きな人が重なってしまうことがあった。私自身は友達のことを裏切れず、理性が勝って、その好きな人とは距離をおいてしまったが、そのことを後悔することは、度々あった。自分の気持ちに正直で、もっと色々頑張れば良かったと、何度も思ってしまった。その時にふと、こころを思い出し、読んだこともあり、私も先生みたいに、なりふり構わず行動できたら、違う未来があったのかな、と思ったものだ。

 

こころなんて、その時々で変わりゆくものなのだろう。大人になってこの本を読むと、それがよく理解できる。しかし、高校生のときに抱いた感想と今も変わらず抱いてしまう感想がある。それは、お嬢さんは先生と結婚して、良かったのかな?幸せだったのかな?と疑問に思ってしまうことだ。先生は事の顛末を絶対に話さない。お嬢さんも気になっているだろうが聞かない。

 

そんな秘密を抱えられたまま、夫婦生活をずっと続けてきたお嬢さんは、幸せだったのだろうか、それがとても気になるところである。しかし、一方で、誰にも打ち明けたくないという先生の気持ちもわからなくはない。この本はきっとこれからも、人生の色々な場面で読み返すことになるだろう。

 

その度に、その時の私のこころ次第で、悲しい気持ちになったり、納得できたり、様々な感情で読み終えることと思う。それがこの本の素晴らしいところのように思う。

 

(20代女性)

 

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この本の中で私が特に印象に残っているのは最終章である。人間関係などの悩みがあると私はこの最終章を読み返してしまう。最終章は先生の懐古録のようになっている。これまでの自分の生き様や後悔、なぜ今このような生活をしているのかについて記されている。先生は大きな後悔を背負って生きている。その大きな後悔を背負っていなかったら先生はどのような人生を送っていたのだろうか。

 

この本を読むたびに、私は思う。人生に「たら、れば」は存在しないのだと。やってしまったことをいくら後から悔いても、取り返しのつかないことがある。だからこそ、人は正直に真っ直ぐに生きなければいけないのだと思う。先生は下宿先の娘さんに恋をする。しかし、先生の友人で同じく下宿しているKも同じ娘さんに恋をしていた。Kは娘さんへの恋心を先生へ告白し、結婚を申し出るもりだと伝えていた。

 

そんなKの思いを知り、先生は先に娘さんの母親へ結婚を申し出てしまう。そんことを知ったKは、怒りもせずその後、自害してしまう。つまり先生は、Kに一生の十字架を背負わされたのだと私は思った。好きな女性と結婚ができ最高の人生を送ることができるはずだった。しかし、背負ってしまった十字架はとても大きい。それでも、愛する女性を手放したくはない。

 

先生は愛する女性と結婚することはできたが、同時にそのことがきっかけで友人を死に追いやってしまった。おそらく、自分のとってしまった行動について後悔しても仕切れなかっただろう。人との関係はときにとても難しい。友人と同じ人を好きになってしまったり、意見が合わずケンカになることもある。しかし、そこで自分本位な行動をしてしまうことで、その相手との縁が完全に切れてしまうこともある。

 

腹を立てているときは、それで良くても後々で後悔をする。しかし、それでは遅いこともある。冒頭で人間関係に悩んだときに、最終章を読み返すと書いた。私はこの本を読むと、悩んでいる関係にどう接することが一番、後悔しないか冷静に考えることができる。

 

(20代女性)

 

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この小説はある大学生が夏休みに海に行って孤独ではあるが、何か魅力的で不思議な男性に出会うことから始まる。この大学生から男性は師のように慕われ、あちこちに出かけたり、人生とは何かというような問答を繰り返していく。この学生と先生は大変共通点も多く、先生の話す事全てにおいて学生は共感し、先生と暮らす事が楽しくで仕方がない。

 

そして毎日、海に行ったり、食事をしたり繰り返していくうちにいつしか、思春期の男の子なら悩む事の多い恋の話になる。先生は親の資産を受け継ぎ、美しい女性と暮らしており、悩むことなど何もなく、恋愛にも全く不自由のない青春時代を過ごしたのだと学生は思っていた。最初のうちはなかなか自分の事を話さないのだが、次第に自分の学生時代の話になっていく。

 

そして、学生が想像もしていなかった、恋の罪の話を聞くことになる。それは、学生時代に下宿していた先の娘と親友とともに恋をしてしまい、横恋慕のあまり、卑劣なやり方でその親友から女性を奪ってしまった話だった。純粋なその友人はなんとその後、自殺をしてしまうことになるのだが、二人は結婚。しかし先生は自殺したその友人のことを思い、いつまでたっても幸せにはなれない。最終的に先生は自殺をすることになる。

 

だが、この本を読んで私が思ったことは、人はどんなに素晴らしい名誉や財産を手に入れてもその方法が人を陥れたり、自分の信義に外れたことで手に入れたとしても、いつまでたっても満足するどころか不幸でしかないということだ。そしてその人はその不幸な気持ちを紛らわすためにさらに欲を満たそうとしてそれを繰返していく。そんなことを続けていっても決していつまでたっても幸せにはなれないのに。

 

つまりは人間は自分に嘘をついて生きていくことはできない。清貧という言葉が示すように、自分の心を汚さずまっすぐに生きていくことこそが本当に素晴らしい生き方なのかもしれないとこの本を読んで強くそう思った。

 

(40代男性)

 

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1 件のコメント

  1. みか より:

    懐かしいな

    高校の時によくよんでた気がする
    当時はよくわからなかったけど、夏目漱石ってやっぱりすごいなって今読むと思うね

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