読書感想文「象の消滅(村上春樹)」

TVピープルについて村上春樹著の象の消滅という短編集を久しぶりに再読した。象の消滅という小説はなにゆえともなく外国のイメージが強い。いないのは俺たちだけという歌詞のヒットソングがあるが丁度そんな感じだ。外国でも本は平積みになるのか?という話をテレ部番組を通してみたことがあるが、本人不在であわよくばと言っていた素人が本を本屋に平積みにする場面がテレビに映っていた。

 

時にそれがテレビ局のヤラセであることもあるし、その日ばかり本屋に並ぶこともある、露と消え去る前に本屋に本が並ぶことが、例えばあり得ないことで意地になる理由なのだろう。本人不在。それは世界ではない。さて、TVピープルである。TVピープルは人間に似ているが人間より小さい。TVを設置していたりもするが電気屋ではない。TVピープルなるものが、何を暗躍しているのか明かされてはいない。

 

 

 

TVの画面になにがしかの放送されていない映像を映しだそうとしているようだ。統制のとれた動物の群れを連想するような流れ作業をキーキーとかしましく切れ目なく続けている。ボクは思うのだけれどこのTVピープルというのは、オウム真理教の前身ではないかと思うのだ。秘密がバレないようオウム返しに述べる台詞の意味をなさないことも、人間より小さなTVピープルなら不自然に感じないものだが。

 

TVピープルが切れ目なく動き続け、ある日1Q84という小説が生まれる。村上春樹の才能をもってすれば、いささか暗いながらも素晴らしい小説は誕生した。けれども、不幸で犯罪や蔑みしかないその世界の恐ろしさはと言ったらどうだろう。その世界に存在する者誰一人残らず死刑だと思った。実際には、オウム真理教の幹部や教祖様6人と7人が同じ日に死刑執行という形でこの世を去った。

 

死してなお止まらない蔑みやそこに暴力の止まらないことを気遣う人もいない世界だ。増長していった人々は犯人をやり通したのだろう。それは救いではない。それは必要だからではない。それに取り換えは効かない。それは分かち合うものではない。生態系の上にさらに乗っかられたら命ではない。虫けらの命に意味はなくなるのだ。

 

(50代女性)

 

 

 

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村上 春樹
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