読書感想文「ノルウェイの森(村上春樹)」

この物語は、親しいものに先立たれ、絶望しながらも生きることを選んだ主人公を描いている。また、学生運動の時代が生き生きと描かれていて、60年代のジャズ喫茶などの描写がリアルに感じられる。読む前の印象は、とにかく暗く重く感傷的なストーリーという先入観たっぷりで、正直な話、あまり積極的に読み進めたいという感じではなかったのだが、手に取って数ページで読む手が止まらなくなった。

 

37歳の主人公は、ドイツの空港で飛行機が着陸して機内でしばらく待っている間に耳にした、ビートルズの名曲「ノルウェーの森」のカバー曲を耳にして、19歳から20歳の頃に自分とその周囲に起こった出来事の回想を始める。主人公の回想は、東京で私立大学の学生をしていて、学生寮で生活をしていた時期から始まる。

 

そして少しずつ神戸での高校時代に起きたショッキングな出来事を思い出してゆく。主人公は平凡で飄々とした性格の中に、どこか言いしれない痛みを抱えている。彼は高校時代の親友の自死を目の当たりにして、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。」と感じている。

 

主人公は、大切な人を自殺で亡くし、あとに残されたのであった。高校時代の唯一の親友を亡くし、数年後にその友人の恋人をも亡くすのである。その友人の恋人とは、後に主人公の恋人でもあったのだ。いろいろなことを考えさせられる。私は、この物語のショッキングなラストに泣かされ、ストーリーの全体像を未だに脳内で咀嚼、吸収しているという段階である。

 

この物語はなかなか重たい内容ではあるが、何とも言えないカタルシスを感じることができた。親しいものに先立たれ、絶望しながらも生きることを選んだ主人公に共感せざるを得ない。

 

(40代男性)


 

 

 

 

不思議な読み味の本だった。ありていに言うと私はその本を好きではなかった。かといって嫌いかというとそうではないのだ。かの有名な村上氏の本を私は長らく読んではいなかった。ノーベル賞発表の時期になるとなにかと話題になる人物で、かねがね興味は持っていた。ところが実際に手に取って読み始めてみると、その冒頭の文章は文学然としていてつまらないものに感じられた。

 

しかし読み進めるにつれ、私は彼のファンたちと同じように、彼の書き味に引き込まれ、その文章に感化されていった。かなり濃厚な性描写が描かれていたが、読み終わったときに残ったものはそういった艶っぽいものではなかった。“人生”とでも言うのだろうか。

 

主人公のルームメイトの男“突撃隊”。風変わりで周りから陰口をたたかれ、しかし何となく心通うような気さえしたおかしな男。彼はある日突然去って行った。・・私は以前似たような出会いがあったような気持ちになった。死んだ親友の恋人直子との逢瀬。それは恋愛と呼ぶにはあまりに不格好でぼんやりとしたもので。しかし愛と呼んで遜色のないひたむきさ、不思議な自然さで存在していた。・・私はかつてあった己の愛について思いを馳せた。

 

緑というガールフレンドの家(うらびれた商店街の小さな本屋の二階)に遊びに行った時の細かい描写に、私は目を閉じてその光景をありありと思い浮かべた。その本屋が思ったよりも小さくなかったこと。どんなふうにシャッターが大きな音で軋んだか。暗がりの店内に何が見えたか。階段を上がった先にどんなふうに緑が待っていたか。

 

そしてそれは自分がいつか友達の家に始めていった時のことを思い出させた。何気ないが鮮明な映像を我々も体験しているのだ。客観的に見て主人公の男の生きざまはむちゃくちゃで、お世辞にも褒められた選択をしてきていなかった。愛する人々、またそうでない人々の間でぼんやりと、それでいて鮮明に生き、そして全てを失っていった。

 

読み終えた私は主人公の男の人生を案じた。彼は幸せになれたのだろうか。と。そしてまた自分の人生についても考えた。不思議なことに全く違うそれは、まるでよく似たものであるように思われた。人は自分の人生を好きか。と問われれば、うん?と首を傾げ、束の間考えこんでしまうだろう。この読み味に関していえば、そういう事なのかもしれない。そしてその思いが裏返ったとき、“自分”というものが如何に面白いものか。という事にも気づかせてくれた作品の様にも思うのだ。

 

(30代女性)


 

 

 

「ノルウェイの森」は登場人物がすべて魅力的であり文章が村上春樹にしかないものを感じる。とてもユニークでユーモアで洒落ていると思った。村上春樹を読んだのはこの本が初めてだったし、他の作品を読んでからだとこの本が異質なものであるとわかったのだけれど、それでもこの本にはものすごい力を感じた。

 

すべての魅力ある小説に共通することだけれど、本を読んでいる最中に自分が本を読んでいるという意識が飛んで、物語の中に入り込んでそのまま終わるまでものすごい集中力が続いている状態になっている。そのときの感覚は本当に本を読むことが好きな人にとってはたまらなく素晴らしいことだと感じる。

 

直子と緑がワタナベにとって重要な女性なのだが、私はもちろんどちらの女性も大好きだ。読む分にとっては緑との会話は楽しんで読める。緑の行動や発想の突飛さ、ワタナベはとまどいながらもわりと受け入れる懐の大きさや本来持っているユーモアな言葉の選び方で、二人の関係がユニークなものになっていてとても面白くてよく二人のページを開いて読み返して笑っている。

 

一方、直子は片足がすっぽりと常に死に浸かっているかのような危うさを持っていてほっておけない。ワタナベと恋人同士になれば幸せになれるはずなのに、うまくその方向に行ってくれない。読んでいる方としては早くワタナベに救ってもらえと思ってやきもきとしているのに、彼女の危うさはどんどん深みを増していく。まるで死んだ恋人への思いをより募らせていくかのように。

 

私が緑と直子だったら鼻の差だが直子の方が好きだ。直子の気持ちが痛いほどわかってしまう自分がいることを感じたからだ。そこまで好きな人だったら、おそらく死ぬまでその気持ちは変わらない。もうその人がいなくなってしまっても思い続けることは止めることは出来ないこともあるのだ。

 

直子の最後の言葉が何度も読み返しているわけではないのに、何度も自分の心のなかで繰り返されてしまう。そして恐らくどうすることもできなかったのに、どうしたら彼女を救うことができたのかと何度も答えの見つからない答えを探そうとしてしまう。

 

ふとしたときに村上春樹の名前を知って、「ノルウェイの森」のタイトルを名前だけ知っていたために読むことになった。私はこの本を読んだ時、ワタナベ、緑、直子と同じくらいの年だった。それ以来ずっと村上春樹の本と自分が密接な関係を続けていく。読む前の自分はどんな人間だったかを忘れてしまうくらいにこの「ノルウェイの森」の中に入り込めたと思う。

 

(20代女性)


 

 

 

直子の後ろをただ歩いているワタナベ君のシーンが大好きだ。このシーンのおかげでこの小説を読む気になった。大学生の恋愛が私は好きだ。キズキ、直子、ワタナベ君のシーンもいい。ジーンと来る。キズキ君もいい人だったのだろうと勝手に思う。だって直子さんの好きだった人なのだから。直子さんの誕生日のシーンはそんなに好きではないのだ。あのとき直子さんの気持ちわかるとは言えないが弱々しくてとってもかわいく思う。ワタナベ君に頼るしかなかったのだ。

 

突撃隊のポスター張替え事件、ラジオ体操事件、綺麗好き事件、そして吃りと笑いがいっぱいだ。しかし、大学に戻って来なかったのは小説の中とは言え、心配だった。どうなったのだろうか。この小説で嫌いなところと言えば、直子の入っている京都の施設にワタナベ君が行ったシーンだ。気持ちが暗くなる。特にレイコさんの話しは嫌いだ。ピアノの娘とか旦那とのこととか読んでいる分にはそれなりに面白いのかもしれないが、読み終えるとおもしろくないと思ってしまう。

 

それから、最後にワタナベ君に会いに来たあとの部分も好きではない。直子のことを話すシーンはいいが、ワタナベ君もレイコさんと寝ますかね。理解に苦しむところだ。結局、レイコさんに興味が無いのだ。緑さんとワタナベ君のやり取りはいつも楽しませてくれるね。緑さんの料理がうまくなったいきさつも面白かった。料理上手ないい奥さんになるだろうなと思う。

 

火事見学シーンも楽しい。学生のくせに昼から新宿でウォッカを飲むなんてうらやましい。付き合っていないにせよ、異性と仲良く酒を飲めるなんていい。緑さんのエロ想像話しは面白い。でも、身持ちは固い。革命の話しは大好きだ。偉そうに話しても結局男の考えることはエッチな事だ、とか革命なんて役所の看板が変わるだけだとか緑の話しに納得する。あと、おにぎりの具の話しは最高に笑える。

 

緑のお父さんがキュウリをたべるシーンは感動した。ワタナベ君は天才だと思った。お父さんが残した暗号みたいな切符、緑、頼む、上野駅という言葉は最後まで謎のままだ。永沢さんはなんとも言えない人だ。自分の考えがしっかりしている。しかし、偏った考えなのかも知れない。まず、なめくじ事件は永沢さんを表すワンシーンだ。女を漁る行動は女性にとっては許されないでしょう。容姿が素敵なのでしょう。不細工男子にすればうらやましい。

 

容姿端麗、秀才、東大、外務省職員と問題のつけようのない人間である。しかし、一緒に生活する女性はたまったもんじゃないであろう。できた女性でないと妻にはなれないであろう。そういった意味ではハツミは最高の女性と思った。美人、令嬢、控えめな性格と女性としては最高だと思う。世の男性の憧れでしょう。

 

しかし、自殺という結末は残念だ。ワタナベ君、ハツミさん、永沢さんの合格祝いでのやり取りのシーンは楽しませてくれた。ハツミさんの強さも多少見れたように思った。

 

(50代男性)


 

 

 

この小説は何度も読んだ。初めてこの小説を読んだ時、何故か私はこのストーリーをさらっと読んだだけでスルーした。なぜなら他の村上作品を読んだ時程の衝撃は得られなかったし、タイミングが合わないと思ったからかも知れない。しかし、年齢を重ねて仕事や恋愛などが困難に感じるようになった時、私はまたこの本を手に取り何度も読み返すようになっていた。

 

ただ、この小説を理解して、正しく解釈する事は今でも難しいと思う。当時若かった私は、自分が直子よりの人間なのか?小林緑寄りの人間なのか?そればかりを気にしていた様に思う。それに小説の上下巻の装丁が、緑色と赤色で対照的だったのも気になっていた。小説の中で描かれる直子は、主人公である僕の愛している対象の悲しくて美しい世界の女の子である。

 

そうであるにも拘らず、緑が何故私とってはあんなに魅力的に見えたのだろうか?それは、あの小説の中で描かれている緑の生命力の様なものかも知れないと思った。自分の意見もはっきり言い、わがままで大胆な行動も平気でとる緑、けれども彼女は自分でご飯を作って食べる事が出来るのだ。更にそれを渡辺君にふるまってあげる事も。

 

村上作品に対してあまりにも単純な解釈かも知れないが、私にとってここは大きなポイントだと思った。また直子ではなく、緑の様に生きなければいけないと思った。更に、彼女は渡辺君を愛している。僕の「直子は僕の事を愛してさえいなかったのだと言うセリフは、あまりにも悲しい。あらゆる意味で直子と緑が対照的に描かれていて、そこが面白いと感じた。例えば直子にはレイ子さんのような存在が必要だったが、緑にはそんな人はいない。

 

ラストシーンでの緑との電話ボックスのやり取りでは、僕が誰かに一方的に電話をかけているのではなく、ちゃんと僕を認識し答えをくれる相手に電話をする決意をしたのだと解釈した。であるが故に、渡辺君自身の存在がややしっかりと浮彫のように浮き上がって見えてホッとした。

 

(40代女性)


 

 

 

私が今でも繰り返し読み、そのたびに新たな発見がある本。それが、「ノルウエイの森」だ。人は心にたくさん傷を抱えて、うまく隠しながら生きている。私とて、その例外ではない。哲学や音楽の話にうまくかぶせながら、躍動的な若さと、対照的な人の心のはかなさが、胸を締め付けられるほど切なく感じた。生きていくことは、死に近づくことだとする本もある。

 

私は先を見つめて気が狂うように切羽詰まって生きるのは、非生産的である意味楽であるように感じる。そして、この主人公の親友キズキはさっさと自ら死んで、直子と主人公に計り知れないほどの衝撃を残していく。直子も結局自身のゆがみに耐え切れなくて死んでしまうのだが、主人公はその痛みに向き合って乗り越えていこうともがいていく。

 

「おい、キズキ。ここはろくでもない世の中だよ。」と言いながら、もう少し頑張ってみる、とひとつ前に進んでいく。私がこの本を開くときは、辛さを乗り越えたいときである。私は彼に語りかける。「おい、ワタナベ君(主人公)、ここはろくでもない世の中だね」とビートルズの音楽を思い出しながら、彼の気持ちに心を通わせ、彼の痛みを知ることで、私は生きる勇気をもらう。

 

辛いのは、自分だけじゃない。生きていくのは大変だが、それはみんな同じなんだ。そう言い聞かせることができる。明日を迎えることが少し心もとなくなるとき、そっとこの本を開く。私は本を読むのがとても速いので、一晩でたいていの本は読み切ることができる。

 

けれど、一つ一つの言葉が心を強くとらえて、私の中の研ぎ澄まされた集中力がこの本の中に全神経を集中させる。読了したとき、「この本に出会えてよかった」と心から感謝する。白い紙にタイプされた黒い文字、挿し絵も何一つない、シンプルなこの文庫本に私は幾度も救われる。

 

本を開いている間はこの世の中の全ての雑音が消えて、世界に主人公と私だけの世界になる。ジェネレーションギャップを感じえないところはあるが、世代を超えてこの本は受け継がれるだろう。村上春樹の本だから、ではなく、心に焼き付けるように語る本だから。

 

(20代女性)


 

 

 

小説を全体的に覆う、暗いけど綺麗な雰囲気が好きで何度も読んでいる。何回読んでも、主人公ワタナベと直子の分かり合えなさがせつない。直子の様に、自分に近しい人が亡くなると、まだ生きている自分自身の一部が死んでしまう感覚になるのかなと感じた。混乱している直子を分かってあげられないワタナベ。

 

彼は現実の世界に生きている人だから、生と死の間で生きている人の気持ちがわからなかった。直子はそういうワタナベの事が羨ましいし素直に素敵だなとは思うが愛してはいない。直子はキズキの死から立ち直れず、自分の心の中を表現する言葉を失ったから、ワタナベとの正確な言葉探しが必要だったんじゃないだろうか。彼女の心の中には恋人を最悪の形で失った絶望と、

 

自分に何も告げてくれなかったキズキへの不信感、何より恋人や姉を救えなかった、自分自身に対するやるせなさがあった。乗り越えるにはあまりにも辛い現実を言葉にするのも怖くて、探し求める。ワタナベが探してくれるんじゃないか、告げてくれるんじゃないかと思うが、それは自分自身でしかできなかった。

 

唯一救われる道があったとすれば、全部キズキや姉や他人のせいにする事だったのかもしれない。きっと直子は自分自身をせめていた、信じられないでいた。小説の中にはさまざまな魅力ある人物が登場する。突撃隊や緑、レイコさん永沢やハツミなど。活き活きと描かれている。ワタナベが読む本なども出てくる。

 

フィツジェラルドのグレートギャツビーなどはノルウェイの森を読み終えた後に読んでみた。ワタナベはこの本を読んでどう感じたのだろうか、と考えながら読むのは楽しかった。この本を読んで、自分の周りにも直子の様に生きているけど死に近い人がいるのかな、言葉を探し求めながら生きているのかなと考える様になった。

 

小説の中に出て来る死は生の対極にあるのではない、その一部なのだと。その言葉もすべてを理解できないので何度も読んでしまう。重いテーマの本だなとは思うが、読み始めるといつも引き込まれる。重いテーマの中で主人公ワタナベの魅力がいっそう増しているので、彼みたいな人が現実世界に居たらぜひ友達になりたい。

 

(30代女性)


 

 

 

元図書館司書をしていた同じ職員にオススメの本があるかときいてノルウェイの森を勧められた読むたびに感慨深くその時の自分の心境によって後味の違う作品だと思う最初は文章に特徴があり慣れるまで時間を少し要したノルウェイの森は悲しくそして美しい物語だと思っている主人公のワナタベの親友であるキスギが自殺しその彼女直子精神疾患を患い京都の精神病施設に入院する

 

直子を好きになったワタナベの手紙のやりとり会話のない行く当てのない散歩の風景も私は好きだまるでその風景が浮かんでくるようである直子は時々遠く儚い世界を見ているときがあったその私の胸は締め付けられる思いになるワタナベは大学の寮に入るのだがその同室で地図を作る夢に向かう突撃隊との会話もまた印象的だ

 

かみ合ってないのだそのかみ合ってない会話もワタナベはそういう風に世の中はできていると思う突撃隊が突然寮からいなくなってしまった理由は書かれいないが突撃隊の話が好きな直子ではないが私も悲しくそして寂しかったさて精神疾患になってしまった直子と同室のワタナベが言うシワの素敵なレイコさんはギターがとても得意でそのギターの音色を聴いてみたいと思ったことは一度や二度ではない

 

その中でもタイトルにあるとおりノルウェイの森は是非聴いてみたいものである直子とワタナベの複雑な関係性直子がワタナベへに自分の思っていることを伝えられないもどかしい思いは読み手にイライラさせるのではなく直子の葛藤自分の中の歪み苛立ちを見事に表現している最後直子は自殺をしてしまうロープと懐中電灯を用意しレイコさんが寝ている間に森へ入り首を吊る

 

これは直子にワタナベやレイコさんにとって悲しい出来事であることには間違いないが直子にとっては自分からの解放だったのであろうレイコさんの言葉が今でも胸に刺さる直子死ぬとってもかわいかったのよワタナベくんに見せたかったくらいと言った直子の人生は儚くかげろうのような人生だったと読み終わるといつも思う

 

(30代女性)


 

 

 

この作品に対する、私の感想はただ一つ。「なんじゃ、こりゃ」である。主人公の目線から彼女である、「直子」を中心に記述していくのだが、そこに自殺していった人々、普通の人、精神的に支障のある人々、いろんな人達が主人公に関わっていくものだから、私には何がなんだかわからなくなっていくのだ。

 

上下二部作のうち、上巻の時点でそんな状況のため、本書において人間関係や人物の感情を考えていく事は私にはとんだ難事業なのだ。まず、彼女である「直子」。この人が一番のキーパーソンであるとともに謎である。主人公の自殺した親友の彼女として主人公とかかわっていく「直子」だが、ひたすらに主人公が彼女に対して思っていること、考えていることしか描写がないために、本当のところ何を考えているのかが私には全く読み取れない。

 

主人公に宛てた手紙のなかで直接的な彼女の思いを知ることができる部分はあるものの、精神的な問題を抱えているために、その言葉が本心なのかどうか、どこまで伝えきれていて、どこまで彼女にとって伝えきれていないのかわからない。その後の主人公とのかかわりの中でも、彼女の立場は、主人公からしたら一貫しているものの、とてもふわふわとした印象を受ける立場の取り方をしている。

 

主人公本人にしてもわからないことが多い。感情の露出が平たんすぎるのだ。普通、人間であったならば、親友の自殺に際して激情を何らかの形で表出させる。しかし、主人公はそうしない。そのことが私にとって最も不可解な部分であった。

 

主人公に大きな影響を与えたことは間違いない。実際、その後のストーリーでも何度も親友についての記述は出てくる。だが、そのことが、淡々とし過ぎているのである。私の友人で自殺した人は何人かいる。そのたびにたまらなく悲しかったし、周囲の人間も様々な感情をその人なりに出していた。それが、この主人公には全くない。

 

かといって、主人公が激情を発するところがないわけではない。きちんとした感情の持ち合わせがあるのだ。欲情も、愛情も、悲しみもある。にもかかわらず、親友に対してそれが出てこないことがわからない。

 

以上に記したように、メインとなる二人に対しての印象でさえ、「わからない。」である。当然、その後出てくる他の人物達についても非常に不可解なところが多い。しかし、そんな不可解なところがものすごく人間味にあふれているのだ。文章や台詞回しにも起因しているのかも知れないが、主人公から他の登場人物一人一人がとても静かに、輝いている、そんな印象を私は受けた。

 

 

「直子」も、主人公も、どれだけ読んでもわからない。何を考え、何を思っているのか計り知れない。でも、とても深い人間味を感じるのだ。こんな訳の分からない登場人物達、こんな人間味ある登場人物達、それが混在しているから、私の感想が、「なんじゃ、こりゃ」なのである。

 

(10代男性)


 

 

 

この本は、村上春樹の作品の根底にある、「都会で生きるものの孤独」を最も端的に表現している。村上氏は、しばしばノーベル賞の候補にもあがる作家であるが、その著書は「おしゃれなだけで内容がない」と批判されがちである。しかし、私は、村上氏の作品の中には、総じて、「都会で生きるものの孤独」が描かれていると思う。

 

特に、ノルウェイの森には、若さ、友人、恋愛という、言葉だけなら華やかな要素を盛り込みながら、全体を通じて、孤独な主人公と、それを囲む個人との交流を物悲しく描くことに成功した稀有な作品である。この小説に登場する人物たちは、それぞれに人と交流を持ちながら日々を過ごしてゆくが、あくまでも孤独な個人として登場する。

 

本当の交流を求めながら彷徨するが、結局は孤独なままである。これは、現代を生きる我々の生活とも共通する要素である。特に、都会に暮らす場合、周りには人が溢れている、しかし、人は周りにいる人とは決して真の交流を持たない。ごくまれに、心からの友人、恋人と思える人が現れてもいずれは分かれてゆく。

 

そのような生活の中で、都会人の心の中には、外見上の華やかな暮らしからは想像できない孤独が生まれてゆく。村上氏の作品は、このような現実を根底にあるテーマとして持っている。しかし、ベストセラー作家であるのとは裏腹に、読者には媚びてこのメッセージ性を強く押し出すことはしない。あくまでも登場人物たちの行動を描くだけである。

 

これが、村上氏の作品に「中身がない」と批判される所以である。作品の主題は明白でなく、あくまで淡々とした日常を主な舞台としているため、主題が表に現れないのである。しかし、村上氏の作品を何作か読んでいくと、日常生活の中のふとした物悲しさや孤独感を余すところなく感じることができる。

 

そして押し付けがましくなく、読者の孤独な感情を解きほぐしてくれる。この、押し付けがましくない程度に現実の孤独に寄り添ってくれるスタイルが、私が「ノルウェイの森」を好む所以である。

 

(20代男性)


 

 

 

この小説には、直子、緑、ハツミ、レイコの4人の女性が登場する。誰でもそうかもしれないし、違うかもしれないが、私にはこの4人のすべての要素がある。主人公の高校時代の友人の恋人だった直子は、繊細でこれから入っていかねばならない大人の汚れた世界に向かって生き延びていけずに大学を卒業することなく命を絶ってしまう。

 

私も大学の時に死に取りつかれる病になったが、寿命があった。でも、生きていて良かったとは思わない。緑の主人公に対する関わり方を読んでいると自分が大学時代に異性に接するときと言動が似ている。ハツミは、永沢のような男を愛してしまい、永沢と別れた後別の男性と結婚するも自殺してしまうが、これは永沢のことが忘れられないのと永沢の血も凍るような冷たさに傷ついた心が他の人に愛されても癒えなかったためだと私は思う。

 

上品でお嬢様というところは全く似ていないが、最後に永沢に似たようなタイプの男の人を好きになって感情がマヒしてしまったところが似ている。他の人を愛せれば死ななくていいし、救われるとわかっていてもどうしてもできないし、傷つく前の明るい心に戻れないのだ。

 

レイコは、この4人の中で一番嫌いなキャラクターで精神の療養所に入っているにもかかわらず、ギターを弾いたり、唄ったりするところは理解できないが、結局この先も一人で生きていくか直子やハツミのようにいつか命を絶つかもしれない危うさを秘めているところが自分とオーバーラップする。

 

この小説を読んで、私も若い頃緑のように主人公の僕のような優しさを持っている男性を愛することができたなら救われていたのかなと思う。直子のような大学時代の危機を自分は乗り越えたのに、一見緑のように明るく活発な感じの自分の中に周りの誰にも自分にも想像さえできなかった心の闇があったのだ。

 

永沢のようなタイプの男性を好きになることによってハツミのようなもの静かな女性になってしまった。死とセックスがテーマのこの小説は秀逸だが、読むたびに死に傾いていってしまうので今後も何度も読み返したいか私の場合は複雑だ。

 

(50代女性)

 

 

 

 

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