読書感想文「レキシントンの幽霊(村上春樹)」

レキシントンの幽霊はいくつかの短編を収めた一冊である。私が特に心惹かれたのは、その中に収められている七番目の男という作品で、これは2003年度版・高等学校現代文の教科書にも載せられていた。高校時代に読んだとき、昼寝で深く眠ったあとのような気持ちになった。そして十年以上経ったいま、やっぱり深く眠ったあとのようなぼうっとした気持ちになった。これだけ歳を重ねたのに、どちらも読後が同じになるのはめずらしい。

 

きっとあまりにも余韻が大きくて、頭がついていかなかったのだ。しばらく体が重たくなるし、どこか寂しいような気持ちにも苛まれるため、私にとって気軽に読んではいけない一冊でもある。七番目の男は、突然、どんな関係なのかもまったくわからない一座の人々に、男が身の上を語り始めるという、なんとも説明の少ない状態で始まる。そして不気味さを助長させるように、窓の外は不穏な天気である。

 

七番目というくらいだから、男が話す前には、その場にいる他の誰かも発言していたのだろう。七番目にくるまでに、その場の人々にはそれなりの絆のようなものが生まれていたと思うから、男の話は親身になって聞けたのではないだろうか。読者のように。男は、幼き日の衝撃的な出来事をとつとつと語っていく。一番印象的なのは、男の友人が波に呑まれるところだ。優れた文章は、読んでいるだけで映像で見たように再生されるが、私は、この描写は映像にしたら途端に純度が下がってしまうと思った。

 

この場面は、映画の映像というより、ところどころが抜け落ちた人の記憶として思い出すというほうがふさわしい。ひとりの人間が、大波に呑まれるところを目の前で見ているのはどんなものだろう。想像しただけでおそろしいが、男は、それが目の前で起こったのだ。きっと頭のほうが現実に追いつけなかったに違いない。男は「友人を助けようとして逃げてしまった」が、人の心と体がバラバラに動くそのシーンは、読んでいる私の喉がキュッと苦しくなった。

 

恐怖というものの、ほんとうの恐ろしさを見ているようだった。最後、男は自分の罪から解放され、新たな人生を歩み始める。過去への認識を改めたことで、罪を許されたのだ。この物語は、波を通した恐怖との対峙であるように思う。恐怖との対峙とは、すなわち己の作り出したものとの対峙である。恐怖とは、乱暴な言い方をすれば、誤解である。現実にあるもの以上のものをつくりだし、私たちを苦しめる。

 

そして、逃げようとするとさらに大きくなって、襲ってくる。私たちが恐怖の正体を確かめようと勇気を出すまで。私たちは、恐怖に打ち勝たなければならない。すなわち、自分のつくりだした幻に。

 

(30代女性)


 

 

 

 

この本を読んだとき、一番最初に思ったのが、村上春樹だなあという感想だった。村上春樹『的』とでも言えばいいのか、他の作家には醸し出せない雰囲気やユーモアの含んだセリフの掛け合い、そのどれもが私の心に刺さってきた。短編集なのだが、どれも素晴らしく、悲哀を感じ、やはり村上春樹『的』要素をふんだんに盛り込んだ本だなという印象だ。

 

最初の短編『レキシントンの幽霊』はとある外国人の友人の家に留守を預かったとき、下から響いてくるオーケストラに主人公が驚くという話だ。タイトルから幽霊という事は分かっていたが、主人公の緊張感が伝わってきて私自身ドキドキだった。次に、『緑色の獣』、これは考察やネタバレを観なくては分からない程抽象的な話だった。

 

雰囲気は分かれど、何が言いたいかは分からない、と言った感じだ。次に、『沈黙』、これは結構著者のメッセージが反映されていて心にきた。人の言葉に容易く流される者が一番怖いのだと再認識した。『氷男』、ホラーなのか純文学なのか分からないテーマだと思った。そもそも氷男とは具体的に著者の思うなんなのだろう? と思う。

 

氷の冷たさ、歴史の凍結、幾千万年の記憶、村上春樹の中でも好きな部類に入る話だった。『トニー滝谷』、この短編集で一番私が好きな話だ。純愛ものと言ってしまえばいいが、なんともいえない読後感で、ハッピーエンドでもないしそれでも主人公は幸せに生きたんだろうな、と思う。『七番目の男』はあまり好きではなかった。

 

と言っても、村上春樹全体を言えば丁度中間あたりの好ましさだ。『めくらやなぎと眠る女』、この短編集最後の小説だ。ひじょうにきれいな文章で語られ、ストーリーも懇切丁寧に作られているので、読みやすさと言えばこの小説は数ある中でも随一だった。この短編集に言えること、それはやはり村上春樹『的』な文章やセンスや雰囲気を醸し出す、美しくて儚い幻想物語なのだと思う。僕はこの本が好きだ。

 

(20代男性)

 

 

 

 

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