読書感想文「祈りの幕が下りる時(東野圭吾)」

「新参者」シリーズは、テレビドラマの頃に好きになり、ドラマや映画は見ていたんですが、原作を読むのはこれが初めてでした。今まで加賀の母親については、あまり疑問に感じませんでした。しかし、今回のメインは明らかに加賀の母親だったと思います。もちろん、作品の内容のベースにあったのは殺人事件です。

 

犯人である浅居博美の父親の忠雄が、加賀の母親である、百合子と関係があったというのも、なんだか運命を感じさせます。まるで、百合子が自分の本当の気持ちを加賀に伝えたかったみたいな感じに見えたんです。加賀は、自分を置いて出ていった母親を、本当はどういう風に思って生きてきたのかと思いました。

 

加賀の、どこか掴み所がない飄々とした言動には、幼い頃からの寂しさや孤独などを隠す為なのだろうかと思いました。父親のせいで母親は出ていってしまったと思い続けていた加賀。しかし、百合子の遺骨を前に全てを自分のせいにした父親から、母親が鬱病だったと聞かされるシーンは、とてもショックでした。

 

本当に辛かったのは、加賀ではなく、母親の百合子の方だったんですね。物語の最後の方で、博美から手紙を渡された加賀は、初めて母親を感じたのかもしれません。鬱病に蝕まれていく自分が、息子に危害を与えるのではないかと危惧して家を出た百合子は、どれだけ加賀に会いたかったのでしょう。

 

自分のせいで父親と仲違いはしていないかと悩む姿からは、彼女がどれだけ加賀を慈しんでいたのかが分かります。そして、剣道雑誌を見た百合子はどんな想いで成長した息子を見ていたのでしょう。そこには、側で成長を見られなかった寂しさもあったのだと思います。

 

ですが、晴れ晴れとした笑顔を見せた百合子は、きっと自分の行動が間違ってはいなかったと思ったと思います。どんなに離れていても、やはり母親は母親なんですね。殺人事件の解決よりも、私には加賀と母親の心の交流の方が気になりました。母親の愛は、どこまでも深いのだと感じました。

 

(40代女性)


 

 

 

 

私が住んでいる街は、約8万人余りの人口があるが、田舎町で映画館が一つもない。今年1月に『祈りの幕が下りる時』が全国ロードショーになったが、DVD発売になる今夏まで見られない。原作を読んでいないことに気づき、即書店で購入、その日のうちに読み終えた。

 

私は、東野圭吾原作のこの“加賀恭一郎シリーズ”はすべて読破していて、完結編ということでストーリー展開にわくわくしながら読み進めた。前回の作品で、主人公加賀の父が亡くなる。その臨終に立ち会うなというのが、加賀の父からの半ば遺言みたいなものだった。

 

その理由はどうやら、加賀が小学生の時に失踪した母が関わっているらしいとほのめかしたところで前回は終わっている。だからというわけではないだろうが、本作品では冒頭、母の失踪した後の足取りから、物語が始まっている。仙台で暮らし始めたとあったので、東北大震災で亡くなるのかと思ったがそうではなかった。

 

結局仙台で十余年を過ごし、この地で亡くなってしまうのだが、文章中にもあったが、本当に最後に一目でいいから、一人息子に会いたかっただろうと思う。それも発見されるまで、何日も床に倒れたままだったという。息子を置いて、自分で家を出て行ったにせよ、あまりにも切なすぎる。

 

その切なさを感じ取った加賀の父は、妻が一人で寂しく死んでいったから、自分も一人で逝く、だから息子に病室へは来るなと言った。とここで、前作と繋がってくるということになる。続いて加賀は、母の遺骨と遺品を引き取ることとなる。仙台で母の世話をしてくれていた宮本康代という女性が、どのようにして自分に辿りついたのかを尋ねると、ある男の影が見えてきた。

 

反抗期真っただ中の子供なら、母を恨んでしまうかもしれないが、加賀は立派な大人。子供と夫を置いて出て行ってしまった事に、自責の念を駆られたまま死んでいったであろう母に、少しでも心の拠りどころがあってよかったと加賀は言っている。私も同感だ。再婚したわけでもなく、好きな人ができたとて、誰にも責められないだろう。

 

そして、一番私の気に入ったところは、カレンダーの月ごとに書かれた、日本橋にある橋の名前。これは東京のとあるアパートで遺体が発見され、その部屋にかけてあったカレンダーに記入されていたもの。その内容と同じメモが加賀の母の遺品に中にあったという事で、どう繋がりがあるのかを加賀恭一郎が解明していく。

 

これがこの作品の最大の謎かけであり、最高の謎解きであると思う。それが判ったとき、とても爽快だった。この作品に限らず、このシリーズ全体に言えることだが、加賀恭一郎は被害者の人となりも加害者の人となりも解明していくところが、なんとも言えず、時には悲しい、時には嬉しい人間ドラマまで描かれていて、読み終えた後にモヤモヤ感がないところがいい。

 

ただ、本当に残念だと思ったことが二つある。一つは犯人の動機。いくら娘が暴行されそうになってその男を殺してしまっても、その男になりすますというのは、頂けない。以前にもいろいろな物語で使われている。現在ではあり得ない事だと思う。もっと違う動機にしてほしかった。もう一つは、警察官の妻であり、母である百合子に犯罪加害者を出合わせてはいけないと思った。本当に残念で仕方がない。

 

(40代女性)


 

 

 

著者曰く、加賀恭一郎最後の話とも言われ、映画化にもなった話題作である。加賀シリーズは好きで、全作品読んでいるが、回を重ねるごとに人間味を増していくのがわかる。これは加賀が成熟したのか、著者の東野氏が成熟してきたのか、おそらく両方であるか考えられる。

 

話は加賀の母のことから始まり、過去の出来事が今回の事件と大きく関わってくるといったシナリオであるが、現代の日本が抱える様々な問題が提起されている。加賀は母捨てられ、父子家庭で育った悲しい過去を持ったことで、同じ刑事である父親とも不仲になり、死に際まで会わなかったというエピドードがある。

 

加賀の父隆正は仕事柄家に帰ることがほどんどなく、もちろん子育てにも関わることがなかった。そういった状況にも母は耐え、文句の一つも言わずに恭一郎を育てた。加賀の母はおそらく非常に責任感の強い辛抱強い女性であったのだろう。現代であればうつ病と診断されていたであろう精神疾患にも当時は気に留めてくれる人もいなく、孤独な辛さを耐えていたと思う。

 

仮に自分がこのような状況におかれたらどう行動するのだろうと考えただけで、なんとも辛い気持ちになってしまう。子育てという意味では浅居博美はもっと非情な人生を歩んでいたと言えよう。しかし例え娘を守るためとはいえ、浅居博美の父は殺人を犯し、実名を伏せ、生活感のない毎日を送り、徹底的に事件を隠し通した。

 

その執念というようなものを超越したこの行動とは極限に状態になることで発揮できるものなのか。自分は子供を守るために全人生や命を懸けられるかという問いかけのように感じた。浅居博美の父は娘を守るために幼馴染の押谷道子を殺害するが、彼女も彼女の人生があり、仕事や人間関係などただ誠実に生きてきた人物である。

 

この人が殺されなければならない理由はだた過去のことがバレるのを恐れただけではあるが、どうしてこのような悲しいことが繰り返されないよならないのかが、他の登場人物などの関係性などから現れてくる。人は追い詰められた時、実際は解決する手段がたくさんあるのだが、極限の精神状態では選択枠が減り、極論的な行動になってしまうのだろう。

 

加賀の母も浅居博美やその父にしても、原発ジプシーにしても、皆が負のスパイラルに陥り、どこかで正常は歯車が回らなくなってしまった不幸な人たちであると感じた。私はそのような人の負の部分やなぜそうしなければならない精神状態であったかなどを考えならが読み進めていくことで、人の持つ弱さや本当に追い詰められた時には正しい判断ができないことがあるのかと、この小説を読んで知ることができた。

 

(40代男性)

 

 

 

 

 

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