読書感想文「ダイイング・アイ(東野圭吾)」

東野圭吾は情景や人の感情の記述が詳しく、物語にいつも引き込まれる。ただ、その内容は深刻なものであっても最後は救いのあることが多い。このダイイング・アイも無意識だろうかそのつもりで読んでいて、どこで常識的な記述が出てくるだろうかと物語半ばくらいから気になっていたが、全く出てこずものすごく陰惨な気持ちで読み終わった。
 
まず、最初のエピソードがすごい。交通事故に遭ってしまった人の気持ちをひたすら書き連ねていて、それも徐々にいい人的な記述が「なぜこんな目に合うのか」という恨みの気持ちで終わる。その部分を読んだだけでも気が滅入る。その後の話の進みが、最初のエピソードと何か違和感を感じさせて、「この違和感はなんだ?話が合うのはどこだ?」と考えながら物語を読んでいくことになる。
 

 
 
なぜこんな事件が起きたのか、その事件がどのように解決したのか、その事件とその後起こることの関わりはどうなっているのか。その問題を解決できると思える部分がなく、自分の中でなんの想定もできないまま話を読み進めていくことになる。そしてその違和感が最後にはいい形で整合性がとれるのかと思ったらどっこい、書いた通り常識的な終わり方はせずに終わる。
 
このストレスが、この物語を読む醍醐味だと言えるかもしれない。誰もが幸せになることはなく、救いのないままなのが、つらい。せめて主人公一人だけでも救いがあればいいが、これは「まだマシ」レベルだろう。そして、この物語は非常にエロチック。このエロさも実はさわやかなものだったという流れになるかと思ったら全くならず、この物語の陰惨さに花を添えた形になっているのがまた恐ろしい。
 
人間というのはこのような状態になり得るのだろうかと、脳科学でも勉強したい気分になる。この物語には、自分にエネルギーの無いときに読んだら傷を受けるかもしれない暗さがある。回復のために日の光を浴びるか、そのまま寝るかしたくなるくらいで、私は実際あえて外に出て日に当たった。人間不信のある人、何かの事故のトラウマを持つ人は読むのを避けたほうがいいと感じる。
 
(40代女性)
 
 
 

ダイイング・アイ (光文社文庫 ひ 6-11)
東野 圭吾
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