読書感想文「初恋(中原みすず)」

「時効が成立した今だからこそ発表できる、三億円事件の犯人によるごく私的な供述」という作品だが、本文中にその真偽について深く追求するような内容は書かれていない。むしろ「犯人かもしれない」という曖昧な言葉からはじまり、自分がその事件についてどう思っていたか、また今となって振り返ったときどう感じるかなどの感情から、少し距離を置いて構成されている。
 
それでも、当時憧れを抱いていた男性から事件の決行について持ちかけられたときのこと、そして実際、決行にいたったときのことはヒリヒリするほどリアルに描かれている。特に、事件後逃走中に警察官に呼び止められたシーンでは、アクション映画を見ているときのような手に汗握る感覚があった。
 

 
それでも、全編を通して妙に冷静な雰囲気が漂っていて、それによって「ところで、本当に犯人なの?」と言いたくなる気持ちが抑えられる。読み始めたときは確かに「本当に著者=三億円事件の犯人なのか?」「この本を読み終えれば、三億円事件のミステリアスな全貌が明らかになるのか?」と、探偵になった気分でわくわくしていたけれど、読み終えたときには、真偽や事件に対する善悪なんて関係ない、という気持ちになっていたのが不思議。
 
それほど「ただ一人の若い女の子」の気持ちだけが書き綴られている小説だった。恋愛小説のようでもあるけれど、美しい文体でロマンティックなシーンを描く小説ではない。すれた仲間たちとのすすけた日々を描く青春小説のようでもあるけれど、喪失感もある。小説的な技法や表現力などの面で、もしかしたら物足りないと感じる人もいるかもしれないけれど、この絶妙な書き味が私小説とノンフィクションのあいだの絶妙な距離感を演出している。
 
現在、主人公であり事件の犯人であるはずの女性が、事件とは遠く離れた場所で暮らしているというまとめ方も含めて、あくまで「時効を迎えた過去の話」を淡々と語っているという切り口が、この小説の醍醐味だと思う。おかげで、読み終わってからもその事件のことについて良し悪しを語る気にまったくならず、ただそこに関わっていた(かもしれない)、女の子がただただ愛おしく感じられた。
 
(20代女性)
 
 
 
 

 
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