読書感想文「トカトントン(太宰治)」

「拝啓。一つだけ教えて下さい。困っているのです。」という、冒頭の三文だけでこの作品はきっとおもしろいと直感が働いた。安易かもしれないが、実際に私は20分ほどでこの作品をいっきに読んでしまったのである。先が気になる、というのも少しはあるが、情緒不安定な男の軽快な語りがとてもおもしろい。
 
「トカトントン」という題名を初めて見たときは、子ども向けの文学なのかと、単純に工具の鳴る音なのかと感じたが、裏切られた。子どもよりはむしろ大人の方がこの「トカトントン」に共感する部分があるだろう。といっても、「トカトントン」を悩みの種とする情緒不安定な男は、少し極端で、だからこそ一通の手紙の文章だけにもかかわらず、軽快で転回がありおもしろいと感じたのだ。
 
男は何に感激し、夢中になり、激情に流されていても、「トカトントン」という音が聞こえるとふと我に帰り、何もかもつまらなくなるという。そこで敬愛する作家先生に手紙を書いて、懸命に「トカトントン」について説明し相談するのだが、その手紙を書いている最中にも「トカトントン」とくるのだから、笑ってしまう。

 
 
手紙には、軍での経験や、小説の執筆、仕事、色恋、社会運動、スポーツなどが、「トカトントン」によってつまらなくなってしまったことの例として書かれている。どれも「トカトントン」の前と後では温度差があっておもしろいのだが、仕事の例が特に好きだ。男は郵便局で勤めており、忙しい時期に入りへとへとになりながら働いていたが、今日で忙しさから解放されるという日に「トカトントン」。
 
出勤したにもかかわらず、始業前に家に帰り寝てしまう。社会人としてどうなんだなどと考えるより先に、単純に笑ってしまった。ほかの例での語りもテンポがよく、一つの文が長いところもあるのだが、落語の長台詞や古館一郎の実況が浮かぶようで、読んでいて飽きないのである。そして、この手紙を読んだ作家先生は、聖書の一節を書き出して、この言葉に感じることがあれば幻聴はなくなると返事をする。
 
しかし、この返事の前に「…作家は、むざんにも無学無思想の男であった…」と一文が書かれており、賢そうなことを言って問題を投げ捨てたのかと思わされる。なんだかばかばかしくて、この件も気に入った。
 
「トカトントン」について、「眼前の風景がまるでもう一変してしまって、映写がふっと中絶してあとにはただ純白のスクリンだけが残り、それをまじまじと眺めているような、何ともはかない、ばからしい気持になるのです」とし、さらに「あのトカトントンの幻聴は、虚無(ニヒル)をさえ打ちこわしてしまうのです」という。
 
字面だけ見ると少し怖い気もするし、抽象的すぎる気もするが、自分の中で思い当たってしまったのだ。その感情というか瞬間を言い表す言葉は知らないし、おそらく一語には収斂しないであろう概念が、初めて文章として言い表されたのだ。平易な表現かもしれないが、驚きや納得といった感情がごちゃ混ぜになって湧いて出た。これも一つの激情だろうか。「トカトントン」が聞こえないことを願いたい。
 
(20代女性)
 
 
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