読書感想文「方丈記(鴨長明)」

方丈記は無常を描く話とは知っていたが、まさかここまで無常を極めた作品だったとは知らなかった。何人もの人が朝顔の露のように死んでゆく。また大火事でなんとか命は助かったが、大事にしていた家や財産は姿を消し嘆き悲しむ。こんな人生は嫌だなと深く感じた。しかし、どうだろう。これは昔の話ではなく、この現代社会に通用する話ではないか。
 
最近のニュースでタクシー運転手が故意か過失かは分からないが、車を病院に突っ込ませてしまい、そこにいた3人の方々の命がなくなった事件があった。また、今年1月だったか、フランスで大きなテロが起き130名以上の方がなくなった。5年前には東日本大震災で2万人以上の人が犠牲になった。もう少し日常的な話では、家に毎月何枚も喪中はがきが届く。
 
このように私達が生きているこの21世紀でも方丈記と同じように諸行無常は変わらないのだ。であるから方丈記は決して我々と関係ないものではなく、むしろより関係あるものであるのだ。この作品を読んで無常は自分にも関係あることなんだと理解を改めることができた。しかし、ここで1つ問いたい。私達のどれほどの人間が明日死ぬと思えるだろうか。
 
吸っている息が吐けなくなったときはもう死んでしまうほど脆いのが私達であるのにも関わらず、私は自分が明日、いや今死ぬとは全く思えない。みなさんはどうだろうか。新聞や報道などで無常に関する内容は多く取り上げられているが、明日は我が身だと思いながら聞いている人はあるか?救急車を見たとき明日は自分が乗っているかもしれないと考えたことはあるか?
 
葬式に参加したとき、自分も明日はこうなっているかもしれないなと思っている人はあるか?少なくとも私も含めたほとんどの人が「明日死ぬ?そんなわけなかろう」と堅く信じ切っているのではないか。「いつかは死ぬんだとは分かっていても、まさか今日はないはずだ」と思っているはずだ。しかし方丈記にあるようにいつかは死ぬ運命なのだ。
 
無常なものは肉体だけではない。今自分が頼りにしているものすべてが無常である。例えば、汗水出して働いて手に入れたお金で買った念願のマイホーム。これが何かの縁で火が出てしまうとどうなるだろう。灰と化すのは明らかだろう。これは枚挙に暇がないはずだ。だが、私達はマイホームが火によって灰になる姿など想像もしないだろう。そんなばかなとさえ思うはずだ。
 
しかしいつかは崩れ去ってしまうものだ。永続などしないのだ。浄土宗を建てた法然の弟子、親鸞は9才の時に「明日ありと思う心の徒桜 夜半に嵐の吹かぬものかは」と無常を悲嘆しているし、栄耀栄華を極めた豊臣秀吉は晩年に「露と落ち露と消えにし我が身かな 難波のことも夢のまた夢」と人生の儚さを詠っている。人の一生は夢のように、露のように儚いものなのだ。
 
言われてみれば当然だと思われることだが、しかしその当然のことがぽろっと落ちかけているのが私達ではないか。確かに知りたくない事実であるから目を背けたい気持ちも分かる。しかし、無常はこの世の中の真理なのだ。無常観を持ったときから今自分は何をすべきなのか、今日という日を大事に生きることができるようになる。私も常に問い続けたい、自分は今日何をすべきかと。
 
(10代男性)
 
 
 
 

方丈記 (ちくま学芸文庫)
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