「人間失格」の読書感想文①
私はうだつのあがらない人間であった。学生時代も、社会人になっても、人となじむ事ができず、どうしても孤立する人間だった。
その為、事あるごとに「死んでやろう」と考える暗い人間である。あまり本を読むのは好きではないが、自殺未遂の結果、生き伸び入院するはめになり、ふと「人間失格」の事を思い出した。
今の自分にぴったりな心境と、青空文庫で読めることから私は本書を手にする事にした。読み始めてしばらく、私は不思議な感情に囚われた。私にとって「人間失格」の主人公『自分』は全く人間失格ではないと思ったからである。
『自分』には才能があった。本を書くことも、絵を描くこともでき、有名大学に通い、たくさんの女性に囲まれる人間である。更には実家はお金持ちときている。少々情けない話ではあるが、私が思い描いていた青春とはこの『自分』がおくってきた青春そのものではないかと思う。
最後の若くして自ら命を絶つことまでが、私自身で描いていた人生のストーリーである。この物語のタイトルは「人間失格」である。
太宰がどのような思いを込めてこの作品を書き上げたのか、凡人である私には到底理解できない。ただ、世間ではこの物語は、世間から落ちた人間の哀れさを伝えるような作品として扱われている。しかし、果たしてそうなのか。私は名実ともに世間から落ちた人間である。落第者だ。
そんな私がこの物語を読んで思った感想は、生きることの素晴らしさ、そして天才も凡人も等しく苦しみに囚われているという事であった。「人間失格」は全編を通して暗い雰囲気で描かれ「救い」がほとんどない。
その描写を落第者の哀れと取るのであろうか、果たしてこの世界に人生に救いなんてものがひとかけらも存在するのであろうか。私の答えは「ない」だ。
私と『自分』が似ていなく、私にとって『自分』は憧れの人間であると前述したが、私と『自分』が進んできた道は全く違う。しかし、自殺と言うその到達点は同じである。私はそこに生きる意味と人の苦しみを見た。人は無い物ねだりをする生き物である。
「あの時ああしておけば」とか「あの人が羨ましい」とか「あの人と変われば自分の人生はよくなる」と多かれ少なかれ誰もが考える。
おそらく太宰自身もそうだったのであろう。しかし、太宰はその過ちに気づいてしまった。ひょっとしたら天才ゆえに気付かずに、この物語を記したのかもしれないが、結果的に彼が最後に残した文章は、天才の苦悩をつづる事で凡人に光を示す物語となったのだと思う。
私はこの物語を読み終え、自分自身と自分自身の過去を受け入れる事にした。何かを望まず、誰かを妬まず、誰もがみな等しい苦しみのもと、がんばって生きているのだと考えるようになった。
この物語は絶望の淵をさまよう人間をさらに地獄に落とす物ではなく、地獄から救いあげる蜘蛛の糸である。もう自分を傷つけることはない。私は無事、蜘蛛の糸を上る事ができたのだと思う。
(20代男性)
小六から純文学に興味が有り、やっと最近、太宰治の『人間失格』を手に取りました。
一年前には周りの大人達から、
「死にたくなるから止めろ」
と読むのを止められて居ましたが、流石に中学生になったと云うことで、渋々親に貸してもらいました。
読んでみると、実に面白く、同時に、「確かに普通の人なら容易に感化されそうだ」と思いました。
何故そんなに人間で有る事に拘るのか、俺には理解出来ません。真面目な話、「人間失格だと思うのなら、今すぐDNA鑑定してこい」と思ったぐらいなので。ですが流石の俺も、此の人間失格はそう云う意味で無い事ぐらい分かります。
彼、葉蔵は純粋で、あまりにも一般的で、社会で云う『人間』らしかったのだと思います。
この世に出ている『答え』に甘えず、全てに疑問を持ち、そして其の疑問に対する世の答えが納得いかなかった。
葉蔵は、良く云えば探求心が強かったのだと思います。世に出ている答えは、本当に正しいのか、そうでないのか。其処から葉蔵の悩みは始まったのだと思います。
そして、明確な答えが無いと誰しも不安になるもの。葉蔵もそうだったのです。
皆さんは如何ですか? 答えが無いと不安でしょう? すがり付くものが無いでしょう?
葉蔵には、此れが恐かったんだと思います。
すがり付くものが無い。詰まり、自分を助ける、甘やかしてくれるものが無い。
葉蔵が純粋すぎた故に、何事も割り切れず、其れを人にも理解されず、理解してほしかった葉蔵は彼処まで荒んで仕舞った。
俺はそう考えています。
自分の中に『人間はこう在るべき』と云う人間らしい価値観が有って、其れを満たさないのは人間を失格したのと同じ。相手に受け入れて貰えなければ、自分には価値が無い。そう思っていたんじゃないでしょうか。
葉蔵はニヒリストではないか、と思う方もいらっしゃるでしょうが、葉蔵は全くもってそれとは遠い処に居るのです。
葉蔵は非常に人間らしい人間だったのではないでしょうか。