読書感想文「走れメロス(太宰治)」

走れメロスは学生時代に授業で読んだ太宰治の有名な作品である。私は、恥ずかしい話だが、この走れメロスは外国の文学作品だと中学3年生まで思っていた。というのも、今までの文学と違い主人公の名前が「メロス」という外国の人の名前だったからである。実に単純な発想であるが、確か1900年以前などは日本人以外が主役の作品を書く作家はいないためそう思っても仕方ないのではないかと私は今でも思っている。

 

というのも、日本以外の国や文化に詳しい人間がいなく、鎖国という日本の文化がそうさせてしまったのではないだろうか?鎖国は良い部分、悪い部分が沢山あったと思う。ただ、日本自身が小さな島国だったため今の情報社会とは全く反対の閉鎖的な文化だったので肌の色や、髪の色、目の色、大きな体型、毛深い体など日本人にはない体質の人を見るだけですごく違和感を感じただろう。

 

そして、この中で面白いと思ったのは太宰治は日本にはいない王様を描いている部分だ。もちろん天皇というものは太宰の生きていた時代にもあったが、まったく文化も違うし、海外の情報も今の日本と違い作家たちが留学でもしないかぎりインスピレーションをもらえるほどに情報を手に入れることは難しいはずである。

 

そのため、海外の文化、時代背景を取り入れて書いた作品がとても新鮮に感じたのである。また、この小説のなかでポイントの一つである主人公メロスとメロスの代わりに人質になる親友のセリヌンティウスの友情は見ごたえがある。まずひとつはメロスを信じて身代わりとなって人質になったセリヌンティウス。彼はどうしてメロスを信じたのであろう?そして、もう一つは逃げ出しもせずに目的の地にいったメロスである。

 

メロスにとっては妹の結婚はとても幸せなものであり、新しい家族が増えた喜び、また最愛の妹の結婚はメロスにとっては幸せの絶頂であり、しかしその余韻に浸ることもなく彼はディオニスのもとへ戻るのはなぜであろうか?作中にもこんな言葉がある。「私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代わりの友を救う為に走るのだ。王様の奸佞邪知を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ」殺される為に走るということは、自殺行為にも似た死への道を走るメロスはいったいどこまで真の強い人間なのだろう。

 

もしかすると、死にもの狂いで生きろというテーマがあったのだろうか?それとも生きることは死ぬことのように苦しいという表現なのだろうか?それにしても、この強いメロスの芯は読んでいるものの心を動かすことは間違いないだろう。また、この物語はただ普通に読むと「疑うのではなく人を信じていきていこう」というようなテーマの話になるかもしれない。しかし、メロスはディオニス王との約束をする前に彼が妻や子供たち、そして身近にいる人間たちですら信じることができずに殺しを働いてしまう王様だということを聞いている。

 

それにも関わらずなぜディオニスとの約束をし、さらには親友の命の危険をかけてまで取引をしたのだろうか?ただ、ディオニスは王とし生きて来たことにより孤独で誰も信じられないという背景はただディオニスが悪役でいるだけではない部分なので私は気に入っている。これは日本の江戸幕府やそれ以前の将軍たちや武将たちも一つの座を保つために何人もの人を殺しその座を守ってきたのは周知の事実である。設定は日本ではないが、同じ背景を描く太宰の作品に好感を持つことができた。

 

また、もしただの好き嫌いで人を裁いているならばこの話はただの善悪のストーリーになり、メロスがヒーローでディオニスが悪というただ平凡なストーリーになるためきっと多くの人間の目に触れることはなかったのであろう。

 

(30代女性)

 

 

固定ページ: 1 2

コメントを残す

シェアする