読書感想文「八日目の蝉(角田光代)」

身も蓋もない言い方をしてしまうと、主人公はこんな男のどこが良かったんだろうと思ってしまうような相手の男(不倫相手)だった。しかしこの物語の主人公は希和子を始めとする「女」達であり、彼女達の中にある醜い部分を表面化したものだったように思う。と同時に美しさの部分も上手く描かれていた。犯罪であることは逃れようのない事実だが、希和子と恵里菜の間には血の繋がり以上の絆が確かに存在していたし、その事実は恵里奈が大人になり、自分が身籠った時に本当の意味でその絆の尊さに気づくのだ。しかし恵里菜も祝福されない妊娠をしてしまうあたり、まさに同じような人生を歩んでしまった希和子との絆が描かれていたように思う。これが実母である妻の恵津子がもっと良いキャラクターで登場していたら、希和子を応援する目線にはなれなかっただろう。読み進めていくうちに捕まらないで、うまく逃げてくれと思ってしまったのは私だけではないであろう。それ以上に2人が似ているなと感じたのは、相手の男への愛情はどちらも無かったのではないかという事である。ただ自分の中にある孤独や、周りとは違うという疎外感のようなものを上手く包み込んでくれた相手のだったのだろう。妊娠がわかっても金を要求する訳でもなし。同じ女から見ればなんと男にとって都合の良い女なのだろうか。この辺りは個人的には共感は得られなかった。希和子の逃亡先で出会う、中村とみ子という登場人物からも親子とは何かを考えさせられる存在であった。血の繋がった本当の娘からもほぼ捨てられた状態になっており、それでも母子手帳は後生大事に持っている。心のどこかではもう壊れてしまった娘との関係をまだ期待しているのだと感じた。だから希和子をかくまったんだと思うし、娘と重ねて見ていた部分もあったのだろう。あまり大部分の登場ではなかったが個人的には印象に残ったのが彼女だった。優しさをうまく表現出来ない性格も好感が持てた。エンジェルホームという団体もリアリティがあり、実際にあるどこかの団体をイメージして描かれたのかと感じた。(私は北海道在住なので函館のトラピスチヌ修道院を想像してしまったのだが)個人的な財産をすべて手放させる、就学の義務がある子供達を学校に行かせず独自の教育法で育てる等、カルト宗教団体の集団生活の匂いがプンプンするのだが、逃亡中の身であれば格好の身の置き場になったのもうなずける。やがてそこからも逃げなければならず逃亡生活は続くのだが、最終的に逮捕の決め手となった写真が薫と2人の親子写真というのがなんとも切なかった。作品を通して、人生のほんのあるひと時を一緒に過ごした影響がここまで出るものなのかと感じた。それは人格形成に多大な影響を及ぼす時期だったからだとも思うが、希和子は間違った、でも真実の愛情を薫に注いでいたからこその結果であったように思う。

 

(20代女性)

 


 

 

 

 

妊娠をしてから、子どもが産まれてから、周囲を見わたすとまったく気づかなかったことに気づかされる。妊娠をしている女性も、ベビーカーを押している女性も、家族連れも、この街にはこんなに多かっただろうか。その世界は温かくてキラキラして美しいようで、子どもが欲しいのにできない人にとっては残酷な風景だと思う。もし自分の子どもになにかあったとしたら、失ってしまったとしたら、わたしは前みたいこの街を普通に歩くことができるだろうか。このことに気付いてしまうと、子どもと一緒にいることだけが幸せの象徴で、その景色の中に溶け込めない自分は不幸せなのだと決めつけられてしまっているように思えてならない。主人公の希和子は、不倫のために子どもを諦めたことで、子どもが産めない身体になってしまう。その不倫相手と本妻の赤ん坊を誘拐して、自分が子ども産んだら付けようとしていた名前で赤ん坊を呼ぶ場面は、気持ち悪いくらい壊れていて、むしろすがすがしい。「やわらかかった。あたたかかった。つぶれそうにやわらかいのに、何か、決してつぶれないごつりとしたかたさがあった。なんてもろい。なんて強い。」この本は、10代の頃に一度読んだ。そして、母親になったあとにもう一度読んだ。こんなに涙って出るんだな、と言うくらい泣きながら読んだ。希和子の、薫への愛情があふれるばかりにつまっていて思い出すのだ。泣くたびに痛いところはないか、寒くはないか心配で心配で、自分が死んでもこの子だけは生きてほしいと願ったこと。自分が与える栄養でどんどんふっくらとして大きくなる喜び。抱き上げて揺らしてあげるとすやすやと気持ちよさそうに眠ってくれたとき、母親をじっと見上げてにっこり笑ったとき、本当に全てが愛おしくて仕方なかったこと。日々の忙しさで忘れかけていたそういった物事が自分の子どもと薫を重ね合わせて、昨日のことのようにありありと浮かんできた。それと同時に、あの幸福をもう二度と味わえないことが寂しくなってしまった。この物語は、犯罪の物語だ。でも、母親が子どもと一緒にいたい、子どもを育てたい一心でがむしゃらに生きる姿だ。どうか、この物語のなかの人々がこれから少しでも幸せになることができるようにと願った。

 

(20代女性)

 


 

 

 

最近、八日目の蝉という本を読んだ。著者は角田光代である。手に取った理由は、特徴的なタイトルが気に入ったのと、どこかで聞いたことがあるタイトルだと思ったからである。どことなく不穏な空気の漂う作品で、抽象的な表現も多かったため最初はなかなか本に入り込むことができなかったが、読み込んでいくうちにパズルが組み合わさったかのように内容が頭に入ってくるようになった。この本では誘拐、宗教、親子などがキーワードになっていて、実際に主人公(女性)は誘拐した女の子の赤ちゃんと一緒に逃げる決心をするところから物語は始まっている。そこで主人公はある宗教団体に居場所を求めるようになるが、だんだんとその場所にもいることができなくなり、別の場所に逃げる。主人公はとにかく誘拐した赤ちゃんを愛し、本物の母親ような優しさを示すが、それは依存を感じられるほどの執着であるため、どこか歪なものを感じるのだ。人間は何か目的がないと生きていくのが辛く感じてしまうが、主人公は誘拐した赤ちゃんを育てることを生きがいにすることで精神を保っていた。しかし最終的にはそれすらも叶わなくなる。そんな主人公を支える人たちもクセのある人が多く、この本を盛り上げているように思う。全て読み終えてみると著者が伝えたかったことは最初に感じたこととはもっと違うところにあるような気がするのだ。人間は常に不完全な存在であり、一度は誰もがそんな不完全な自分を恨み疲れきってしまうということがあるだろう。またどうしようない犯罪を犯しもうこの先の人生はなんの意味もないものと感じてしまう人もいるだろう。しかし本書ではそういった人達に向けての愛が詰まっているように思う。それでいいんだと。それでも生きていていいんだと、そのようなことを著者は伝えたかったのでないかと感じたのである。終始辛いことが続く文で、読む方もある程度の覚悟が必要であるが、読みおえた時になぜか勇気をくれる、そんな本だ。

 

(20代男性)

 

 

 

 

 

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

 

角田光代作品の読書感想文はこちら

コメントを残す

シェアする