読書感想文「フォルトゥナの瞳(百田尚樹)」

本作品の主人公は『人の死』が目に見える、いわゆる『フォルトゥナの瞳』のような能力をある日突然持った。死に近づいた人が薄っすらと透き通って見え、最終的にはほぼ透明に見えてしまう能力だ。死の種類には病死の他に事故死も存在する。前者は自分ひとりの力ではどうにもできないものであるが、後者ならば自分がその人の行動を変化させることで未然に防げることに気づく。

 

主人公は事故で死ぬ運命の人に無理やり声をかけたり、食事に誘ったりして、本来いるはずの場所つまり事故が起こる場所にその人が行かないようにして、その人の命を助けるつまり運命を変えてしまう能力を手に入れてしまったのだ。しかし、この能力には重大な問題があった。それは、その能力を使用した本人の寿命が縮まっていくことだ。

 

そのことを知った主人公は今後一切、他人の運命には関わらないでおこうと決心したが、ある人との出会いでその決心が揺らいでしまう、という物語である。私はこの本を読み終え、運命という言葉を再び深く考えさせられた。運命というのはほんの些細な出来事で変化してしまうものであると思う。

 

あの日、コンビニに行かず家にいたままであったら、あの日、家で宿題をせずに外で友達と遊んでいたら、いまの自分がいる環境はガラリと変化していたかもしれない。しかし、そういった行動はもしかして生まれた瞬間から決められたことであり、どうあがいても現在の自分になっていたかもしれない。

 

しかし、この本を読み、自分は前者で述べたように、些細な行動を変化させていけばいずれは大きな変化になるであろうと感じた。それは、この本の中でも述べられている『バタフライ効果』にも影響されているのかもしれない。自分たち人間の寿命はせいぜい100年であり、その年までは着実に近づいている。

 

にも関わらず自分たちは時間が無限に存在するかのように暮らしているということをこの本で気づかされた。たとえ、小さな行動でも運命はどんどんと変化していくであろう。一つ一つの行動に意味を持っていきたいと感じた。

 

(20代男性)


 

 

 

 

本書はファンタジーである。と私は思う。ある日突然人の死がわかるようになったらどうだろうか。本書はある平凡な男性が死ぬ人の身体の一部が透けて見えるようになってしまう話である。職場で世話になっている上司、そして自分の愛するひとの身体までもが透けて見えてしまい、その運命に抗おうと奔走する話である。

 

なぜファンタジーと言ったかというと、まず普通に生活をしていれば人が死ぬことなんてわからないからである。わかってしまったらそれはありえない話だと思うし、人が死ぬなんてわかりたくもない。通常では考えられないからファンタジーなのだ。そこで本作の大筋とも言える「人の死がわかる」ということが重要になる。

 

主人公は始めはその能力を信じていないが、実際に目の前で人が死ぬのを目撃してから能力を信じるようになる。そして自分の周りの人間が死に直面したときどうにかして助けようとするのだ。私はそんなことはわかりたくはないと言ったが、わかってしまったら助けようとすると思う。

 

でもそれが原因で関係のない人が代わりに死んでしまったり、死ぬ時期がずれるだけだと後々わかってしまったらどうだろう。また、主人公は自分の周りの人を救っていくのだが、その数をこなすたびに心臓に違和感を覚えるようになる。その違和感はやがて痛みへと変化する。

 

病院へ受診すると主治医も自分と同じ能力を持つ人間だということがわかるのだが、その主治医も周りの人を助けるたびに心臓の痛みが走り、長年死が間近の人を助けてきた結果自分の寿命を縮めていたのだ。そして、結局この主治医は人助けの末自分の寿命を縮め亡くなってしまう。それでも私は大切な人を助けたいと思う。

 

自分の行動によって運命が好転するわけではない。だが大切な人を目の前で見殺しにはしたくはないからだ。たとえその人が後に死ぬ運命でも、大切なのは「今」だと思った。自分を犠牲にしても、なんて偽善者のような聞こえかもしれないが、「今」助けたいから助ける。どうあがいても運命に逆らえないのなら、「今」を大事にしたい、そう思った。

 

(30代女性)

 

 

 

 

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百田 尚樹
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