〜名作が見つかる読書感想文の掲載サイト〜

読書感想文「永遠の0(百田尚樹)」

「永遠の0」の読書感想文①

本を読むのは好きだが、戦争を題材にした小説を手に取ることはあまりなかった。しかし、かなり売れているようだったので、どんなものかと軽い気持ちで読み始めた。読み始めるとどんどんのめり込んでいき、先が気になってあっという間に読み終えてしまい、さらにすぐに2周目に突入していた。10代の若い兵隊たちが特攻隊として、死ぬことを命じられて、逆らうことも許されず、様々な葛藤をしまいながら、敵機に突入していく姿を想像すると、まだまだ小さいが子を持つ親としてはいたたまれない気持ちになった。
 
ありきたりな感想だが、戦争はするべきではないと感じた。他の戦争を題材とした小説はあまり読まないので詳しくはないが、読後はこれまでの特攻隊のイメージが一転した。特攻の最中に信号を送り続けながら突撃するということや、不時着も許されず、特攻後に生きていた場合に帰還してよいかという質問にも、戻ってはならないと答えていることなど、今まで知らなかったことが多く語られていた。
 
当時の日本軍がかなり追い詰められていたことの表れなのだが、特攻を命じた上層部は戦地には行かずに、敵艦まで飛ぶためだけのにわか仕込みの若い兵隊を育成して、命を切り捨てていくところは、机上で戦争をしていたのだなと感じた。現在の日本の政治もうわべだけを見て、実態も理解せずに机上で物事を決めているように感じているので、戦前から何も変わっていないのではないかと思わざるをえない。今話題になっている安保法案改正も同じように感じるが、自分の子どもたちの世代にも大きく関わってくる。
 
国民が本当に何を望んでいて、何が幸せなのかを真剣に考える政治家や官僚が多く現れることを期待する。そのために自分に出来ることは何かと考えると、大きなことは難しいので、とりあえず選挙にはちゃんと行こうと決めた。また子どもたちの世代が少しでも平和に幸せに生きられる世の中を作れるように、今を一生懸命生きて、その姿を見せてあげることぐらいは出来るかなと考えたので、毎日を真剣に生きていこうと決めた。
 
そうでないと、戦争をすることを決めた人々に巻き込まれて死んでいった方々に申し訳ないと思うのである。戦争中の日本軍の教育の一部をかいまみることができることや、戦争を知らない私たちが学校で習ってきたこととのキャップがかなりあるので、そこを感じとれる良い機会となったと思う。
 
(30代男性)

「永遠の0」の読書感想文②

この話は第二次世界大戦時、絶対に家庭に帰りたいと願っていた主人公宮部久蔵が、自らの志願でゼロ戦に乗り特攻へ行き戦死をするという話である。また、ある教え子に最後に乗るゼロ戦を交換することを願い出て、交換することで教え子は命を救われるという結末があり、宮部久蔵は自らが望んで死を選んだのである。
 
その心情の変化、今は伝える人が少なくなった戦争の描写を現代の若者が読みやすいように飲み込みやすいように伝えられているのが、この百田尚樹先生作の永遠の0である。わたしがなぜこの小説にはまったかと言うと、読んだ当初宮部久蔵と家族構成が全く同じで、わたしの旦那が自衛官だったからである。
 
旦那と私、そして当時は0歳の産まれたばかりの我が子だ。宮部久蔵も戦争中に愛娘が産まれる。そして、一度だけ家に帰ることが許された際に念願の愛娘と妻の松乃に会うことができたのだ。それが最初で最後の再会なのだが、その妻子の写真を肌身離さず持っていた宮部久蔵が、最後交換したゼロ戦に置いていってしまうのだ。
 
もしわたしが同じ立場なら最後まで一緒にいたいだろう。だからいくら考えても理由が分からなかった。そこで、同じようにこの本に心を打たれた人の感想を読んでみた。すると納得できる答えがあった。宮部久蔵はその写真と共に、その教え子に向けたメッセージを残していたのだ。彼女らが路頭に迷わないように助けてくれと。
 
妻子の顔が分からない教え子に、この写真を頼りに探してくれと言う意味があったのだということである。そしてもうひとつ。当時は戦死することが名誉と言われていた時代に、周りに何を言われようとも家庭に帰りたいと願った宮部久蔵。名誉よりも大切だった家族の顔が爆発によって粉々になってしまうことだけは避けたかったという考えである。
 
この考えを読んで、改めて読み直すとより深く気持ちが入って涙無くしては読めなくなった。わたしは松乃と似た立場であるために、戦争って大変だなーという客観的な立場では見られなかった。いつ旦那が宮部久蔵の立場でもおかしくないのである。おそらく現実はこんなに美しく結末を迎えることはできない。だからこそ、戦争はもう起きて欲しくないという気持ちが読むたびに強くなるのである。
 
(20代女性)

「永遠の0」の読書感想文③

物語の発端は主人公、健太郎とその姉、慶子の祖母がなくなったことがきっかけだった。今までおじいちゃんと慕っていた祖父は祖母の死をきっかけに自分が実の祖父ではないということを明かす。そして実の祖父は戦争で亡くなったと打ち明けたのだ。死んだ実の祖父がどんな人だったのか?
 
その疑問を払拭するために二人は調査のため、各地を回ることになったのだった。ここまでがあらすじだ。本を読み終えて私がが理解したのは戦争の背景とその儚さである。今まで第二次世界大戦や太平洋戦争などという言葉をただの言葉として記憶していた。
 
時代の背景の事象だけは何となく学び、何となく覚えている程度だったがこの本を読んで戦争の背景には色々な思いが詰め込まれているということを知った。そして一番は戦争で亡くなった祖父の心情の変化だろう。あらすじでは書いていないが健太郎と慶子が調べていくうちに次第に祖父の実態が明らかになっていく。
 
ポイントは次の2つ。一つは祖父は臆病者と言われていたこと。次にそんな臆病者である祖父が自ら十死零生と言われる特攻隊に志願したこと。臆病者というと印象が悪いかもしれないが祖父は命を何よりも大切にしていたのだ。そんな祖父が自ら特攻隊に志願する心情の変化とは一体どういったものなのか?
 
残念ながらその答えは文中ではっきりしたものが無かったのだがその心情の変化に私は心打たれたのである。そして気になったのが本のタイトルである永遠の0。結局本を読み終えてもそのタイトルの意味を見出すことができなかった。あれから私は考えた。零戦ゼロ?十死零生のゼロ?ただ”永遠の”という言葉が腑に落ちない。
 
考えれば考えるほど訳が分からなくなり私の頭を駆け巡る。結局考えても分からなかったので再度、亡くなった祖父の心情について考えてみた。そう、フィクション、いや、現実の世界でにおいても亡くなった人の心情は知ることができない。ただその心情を読み取ることはできるはずだ。
 
そして私なりに考えて出した答えがこうだ。祖父では現実味に欠けるので物語中の「宮部久蔵」の名前を借りて書くことにする。久蔵は何よりも家族と自分の命を大切にしていた。ただ戦争という佳境に立たされ仲間の死、戦争で亡くなっていく人々の死をたくさん目の当たりにしただろう。
 
そこで久蔵は仲間の無念、思いを受け継ぐことになる。私にはその無念、思いを受け継いだ苦しみというものは分からない。しかし久蔵はそれを一人で抱え込んだまま生活をするのが苦しかったのだと思う。そして耐え切れなくなったのだと。生きることに執念を燃やしていた久蔵であっても戦争はそれを打ち砕く。戦争で得られるものは何も無い。つくづくそう感じさせられたである。ここで戦争を繰り返しても得られるものは永遠に無い。つまり永遠のゼロ。そう捉えることができるのではないだろうか。
 
また0という文字は円を書くことになるので始まりも終わりも一緒になる。冒頭で書いたようにこの本を読むきっかけになったのが私の祖父の話である仏教では輪廻転生という言葉があるように人は死しても何らかの形で現代に戻ってくるという考えがあることを説法で教わった。
 
もしかしたら久蔵は現世に区切りをつけ、来世で生きていくと覚悟したのかもしれない。そういった意味でも永遠の0という言葉が当てはまる。そしてもう一つ私たちが大切にしなければならないことがある。それは戦争という過去があった事実を知っておかなければならないということだ。過去は繰り返すと言われているが戦争は絶対に繰り返してはいけない。
 
永遠にゼロにしなければならないんだ。そのために私たちができることというのが過去の事実を認知し二度とこのようなことを繰り返してはいけないということを後の世代に引き継ぐことだろう。人は何のために生きて何のために死ぬのか?永遠の0はそれを考えさせてくれるいいきっかけになった。
 
(20代女性)

「永遠の0」の読書感想文④

大切な人を守る方法は何か。これは、人間の生涯のテーマでもありこの名作、永遠の0を読む上で常に議論を醸すテーマでもあります。戦時中といえども現代の私たちといえども、生きている人間の価値観というのは多少違えど家族や同志への愛情などは変わらぬものであるでしょう。
 
戦時中は、お国のためなら…とか、命を落としてくることが名誉だといわれていたといいます。もちろん永遠の0の中に出てくる戦争の隊員達は、死ぬことを喜ばしく思うように教育されているのがよくわかりました。しかし、本当にそう思っている人は1人でもいたのでしょうか。
 
育ててくれた両親、連れ添った伴侶、かわいい我が子のことを残して戦争のために死ぬことを本当に喜ばしく思うものなのでしょうか。自分が参戦することで戦争の力となり、日本が勝てば自分の大切な人たちは有意義な生活ができます。そのために頑張るというのはわかります。
 
できることならば自分だけは助かりたい。そんな気持ちはおそらく誰にでもあったでしょう。それを表に出すことなく、死ぬことを名誉と言いながら不本意に命を落とすのが、戦争であるのです。永遠の0の主人公である宮部久蔵は、戦争部隊の中では蔑まれた存在でした。
 
理由は1つ、どの対戦でも生きて帰ることも第一に戦ってきたからです。しかし、蔑まれた理由はそのこと自体ではなく、自分がいうことができない正直な感情を口に出していたことでの、今で言う嫉妬のようなものだと感じます。そのようにしなければならない、このように思わなければならないという洗脳のような教育を受けていたことで制限されていた発言も多くあるでしょう。
 
しかし、思うところは戦いたくない、どうせ死ぬなら家族と一緒にいて家族を守るために死にたいと思うでしょう。戦時中の人の気が知れないと思う人もいるかも知れませんが、結局は同じ人間で感じるところも同じなのです。現に、死にたくない、生きて妻の元に帰ると決めていた宮部久蔵は特攻に志望してなくなります。
 
ここは読者でも物議をかもすところでもあります。宮部久蔵は特攻に志願する前に、自分の教え子を次々と特攻で亡くしています。簡単なハッピーエンドはそれでも妻と娘を思い生き残ることですが、永遠の0ではそうはなりません。わたしはこの事を、自分ならと置き換えて考えました。
 
そして、結局は逃げ回って助かったという結果よりも、最後に1人くらい教え子を助けたという名誉が家族の支えになると考えたのだと感じました。その名誉が、家族の支えとなり思いを伝えることになると、わたしは感じました。
 
(20代女性)

「永遠の0」の読書感想文⑤

この小説にみなぎっているのは、紛れもない家族への愛である。実際に全編にわたって、戦争への賛美でもなく、また、反対でもなく、冷徹に主人公の現実を注視するそのストーリーはぐいぐいと引き込まれてしまうものがある。主人公のあくまでも生にこだわる姿勢に感動を覚えずにはいられないのである。
 
とにかく、戦争のあった時代に生にこだわるというのは非常に大変で、辛い生き方である。それをあえて実践した主人公には周りに流されない強さと、守るものがある自分が絶対に死ねないという執念を感じた。しかし、結局は、戦場から返ってくることができなかった。それは、無駄ではなく将来、国を背負っていく人たちへの橋渡しの役目を担っていると思えた。
 
自分が教官として教えてきた教え子たちが、特攻に向かう中で自分だけが生き残ってしまったという自責の念が結局は、生へのこだわりが徐々に揺らぐ原因にもなっていった。しかし、最後まで諦めずに次世代を築くであろう若者にたいしてのバックアップを忘れないところにも感動した。
 
とにかく、最後まで生きるということをしっかりと考えさせられる小説である。生きることが当たり前でない時代だからこそ、生きることに最後までこだわった主人公の並々ならぬ覚悟に感動を覚えるのである。それは、時代が変わってもまったく変わることのない人間として、誰もが普通に持つ感覚なのだということがしっかりと伝わってくる。
 
そして、無駄に生きるのではなく、今生きているということを自分自身で再度、考え直そうというふうに感じた作品となった。戦争中に、それも兵士となって戦場に出向いた一人の士官が、死をさけて、最後まで生にこだわったということに素晴らしいと感じるとともに、自分は同じ時代に生きていたら、そんな生き方が出来ただろうかと考えさせられた。
 
(40代女性)

「永遠の0」の読書感想文⑥

映画化もされた「永遠の0」。なんとなくのストーリーは知っていたが、厚みがあるので読むのは躊躇っていた。また、映画にも興味関心を抱いていなかった。なんとなく、ふと読んでみようと思い、手に取り読み始めたのだが、あっという間に読んでしまった。単純に戦争の物語という訳ではなかった。主人公の健太郎はふとしたきっかけから実の祖父のことを調べるようになる。
 
今まで祖父だと思っていた人が、自分とは血のつながりがないことは、かなり驚いただろう。そして、実の祖父が特攻隊としてその命を失っていたということにはもっと驚いただろうなと思う。自分の身内にも、戦争で命を落とした人がいる。その人のことは、今まで「戦争で亡くなった人」としか認識していなかったけれど、きっと健太郎は「どんな人なのだろうか」と興味を抱いたことだろう。
 
実際に祖父のことを知っている人と会話する中で、その時の日本の状況や、戦争についてどんどん知るようになる。もちろん自分の祖父がどういう人物だったのかということも。会う人によって、見方は変わっていた。「臆病者だ」という人もいるし、「凄腕の持ち主だった」と語る人もいた。どちらも本当のこと。単純に特攻で亡くなったからと言って、愛国主義者の人と決めつける人もいた。
 
そういう見方もあるのかもしれないけれど、私はどうしてもそんなふうには思えなかった。愛国主義の人なんて、いなかったんじゃないか。そう思ってしまう。日本のためと言うよりは、家族のため、愛する人のため。だから命を落としても、守ろうと思ったのではないか。当事者にしか分からないことだが、そうであってほしいし、戦争が何のために行われたのかきちんと知らなくてはいけないなと感じた。
 
それまで戦争で亡くなった身内について、深く考えることもなかった。誰もその人のことを口にはしないし、もう知っている人もいなくなってしまった。だから、誰に聞くこともできない。なんでもっと興味を持っていなかったのだろうかと、後悔するくらいだ。今一度、若者にこの本を読んでもらいたい。自分は関係ない、過去のことだと思っていた私のように、きっと戦争に対する思いが変わるだろう。
 
(30代女性)

「永遠の0」の読書感想文⑦

私は天邪鬼で、「多くの人が読んでいる本」「有名な著者」「書店の一番いい場所に山積みになっている本」は基本手に取らない。あらすじやネタバレはネットサーフィン一つで手に入るし、知った気になれるからだ。また、電子書籍というものも好きに慣れず、本はやはりあの厚みや独特の紙とインクのにおいをかぎながら、しおりで自分がこの本にかけた時間を見ていくのも楽しみと思うからである。
 
早い話が百田尚樹氏の著書を手に取るのは初めてだった。結論から言えば、もっと早くこの本を手に取ればよかったの一言につきる。百田氏は戦争に関する資料を相当お調べになったのだろう。フィクションでありながら、ノンフィクションを読んでいるかのような臨場感。自分自身がまるでタイムトラベラーになって、宮部久蔵という一人の人の人生を隣で見ているような描写に感動をするとともに、多くの人に、特に若者にこの本を手に取ってほしいと感じた。
 
戦争がなぜいけないのか。そこに生きた一人ひとりはどのような考えを持っている人たちだったのか。時代はどのような時代だったのか。宮部久蔵という男はもう生きていないのに、少しの間時間を共にした方たちの言葉から紡ぎ出される人物像は、まるで髪の毛一本一本を丁寧に描いていくように描写されていた。
 
日本は現在、長引く不景気の中でブラック企業などが増え、結果としてライフ・ワーク・バランスなどが公に取沙汰されるようになったが、まだ台風や降雪でも出社が命じられるように、個人の生活に配慮されることは多くない。そんな現代でも仕事より家庭を優先するという言葉を発するには勇気がいる時代。でも戦時中は特に軍隊は階級社会。上官にものを申したりはできない時代の中で、宮部という人は「生きて帰る」と繰り返し上司や部下に言う。
 
この時代にあっては不思議なというより、不気味な存在であったことだろう。それでも生き方を貫く中で、その人格に惹かれ、戦後まつのと娘の清子を助けた人達がいた。私は戦争をそこに参加をしていた人の心情からつづられている資料というものがあまりないのでその点で優れている著書と最初は思ったが、「生きる」ということに執着をするというのは実は現代を生きる我々の方が忘れていることのような気がする。
 
過去があるから現在がある。現在をどう生きるかで未来は変わる。私は子どもがいないが、日本を大きな家族と考えた時に若い世代、子供たちの世代が日本で一人ひとり活躍できるような社会にしていきたいと考えている。私という一人の人間が葛藤したその果てに、たった一人でも若者が悠々と自分自身の能力を発揮して、諦めずに生ききれたらそれが私の喜びだとも感じた。今私がいる場所で、私が会うこともないかもしれない若者や子供達が幸せに暮らしている未来を信じて今日も生きていく。
 
(30代女性)

Audibleで本を聴こう

Amazonのオーディオブック「Audible」なら、移動中や作業中など、いつでもどこでも読書ができます。プロのナレーターが朗読してくれるのでとっても聴ききやすく、記憶にもバッチリ残ります。月会費1,500円で、なんと12万以上の対象作品が聴き放題。まずは30日間の無料体験をしてみよう!!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA