「地下鉄に乗って」の読書感想文
常々「時間」という概念に興味を持っていた。浅田次郎の小説が好きで手当たり次第に読んでいる中でこの作品に出合った。タイトルからは単なる昭和のありふれた物語だろうと読み始めたが、読み進んでいくうちに現在と過去を行き来する主人公に感情移入し、いつしか「過去」そして「現在」の境界がわからなくなっていく感覚に不思議な心地よさを覚え始めた。
「過去」には無意識のうちに忘れていることがあり、ふとしたきっかけでそのことが記憶として蘇ることがある。それは果たして本当に無意識に忘れたのか、それとも自らが意図して忘れようと努めていたことなのか。後者であったとしてもそのことを思い出したことを、過去の感覚、視覚、嗅覚、或いは聴覚が無意識の中で記憶のスイッチをオンにすることに抗えない自分に気づく。
そしてその感覚は時に辛く、また時に甘美に体中に染み渡る。人間として子供のころに感じた家族、兄弟や親とのつながり、共に過ごした時間が与える結びつきのようなものは、実は別々に過ごした時間の中にも同じように流れ続けていてある種の細胞に存在している遺伝子のレベルで未経験なことまでも経験したような感覚にさせられているのではないのか、という漠然とした疑問が沸いてはまた消えていく。
知っていることと、知らないはずなのにわかっていること、わかっていると思い込んでいるが実はわかっていないことなどが思いの中で交錯し、現実と夢の境界さえも把握できない感覚に陥ってしまった。人間の意識という目に見えないモノが霧のように広がって他人の中にも侵食し、その人の意識と接触することであたかも自分の記憶のごとく脳に刻まれることがあるのではないか。
自分が経験していない、まったく知らない土地や風景が鮮明に視覚化されるとき、人知の及ばない「時間」という概念、その概念と自分という一人称の関係性がぼんやりと把握できたように感じて、これまで言語化できずにいた懐かしさや愛情のような感覚が呼び起こされたことを認識した作品だった。
(50代男性)
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