読書感想文「憑神(浅田次郎)」

憑神(つきがみ)、何に憑かれるのかというと、貧乏神、疫病神、死神である。ひとつだけでも大変なのに、主人公の別所彦四郎のもとに人にとって禍でしかない神様が三人もやってくる。人徳があり能力のある人間が必ずしも優遇されるとは限らない。それどころかとんでもない災難や理不尽な目に合うこともままあることは、ある程度人生を歩んできた人には納得のいくことだろう。

 

最初は、ちょっとしたコメディのように思えていたのだが次第に自分の生き方と向き合う主人公に思わず感情移入した。時代も江戸の末期のため、主人公のような武士らしい武士は時代遅れだと描かれている。時代が崩れていき、今までの価値観が通用しなくなる。これだけでも十分理不尽なことだ。

 

理不尽な禍にどう立ち向かっていくか、特に死神とのやり取りは命のやり取りでもあるから、嘘もずるさも通用しない。神の問いかけは嫌になるくらい、しつこく、純粋だ。そこには善悪さえないように思える。しかも神々の采配で禍を他者に押し付けることができることを知った時、なんだかんだと理由をつけて逃れたくなるだろう。

 

 

 

主人公とて例外ではなく、普通の人間と同じようなことを考える。読みながら反発したり納得したり、ほっとしたりする。心のどこかで主人公が生き延びてほしいと願い、そして自分にはないような高潔さや、優しさ、勇気、そういったものを持ち続けてほしいという勝手なことを願う。読者の願いと本の中の人物の願いが一致することは少ない。

 

どんでん返しのような結末は、納得のいくものでありながらどこか寂しさを覚えるものだった。死神が憑りついた自分が、国のために家のために何ができるのか。勇気と優しさ、武士の誇りと言ってしまえばそこまでだが、運命を受け入れるということは残酷である。禍の神に憑りつかれることと自分の運命を受け入れることが一致している。

 

神々との語らいは自分自身との語らい。逃れられない現実と向き合う時、我々の前に神々が姿を見せるのかもしれない。特に感銘を受けたのは主人公、別所彦四郎が禍の神々を受け入れていく過程だ。特に死神はどうしたって逃れられない。生きていれば死ぬのが当たり前だからだ。死ぬことが決まっているのならば、あとはどう死ぬかだけが選べる。そんな選択誰もしたくない。

 

他の神々は誰かに押し付けることができても、死神を押しつければ間接的に人を殺したことになってしまう。倫理観や道徳観、そういったものを総動員して考え抜いた結果、自分が死ぬしかなくなる。どんな死に方を選ぶのか最後までドキドキしながら読んだ。神々も仕事だからそう長いこと待ってはいられない。

 

主人公の最期の死にざまを知ったとき、神々が主人公に憑いたのは偶然でもなく禍でもなく必然であったように思えてならない。そう考えると、神々ももっと大きな枠の中で存在しているのだろう。思ったよりもシリアスで、深く考えてしまった。貧乏神も疫病神も死神も現実の世界にちゃんと存在する。リストラや借金、病や死。

 

人の姿はとらなくても、いろんな場面で遭遇している。主人公が考えたようなことを、いつかどこかで読者も体験するかもしれない。物語はひとつの追体験でもある。いつかどこかでするかもしれない体験を暖かい家や安全な場所でそっと垣間見ている。

 

(30代女性)

 

 

 

 

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