「まほろ駅前多田便利軒」の読書感想文①
「幸福は再生する」果たしてそうだろうか。小説の最後に書かれた一文を読んだ時、私は自分自身の生きてきた道を省みた。小説内では、不慮の事故で切り落とされた行天の指が再びくっついて再生する描写があった。だがもしも、切り落とされた指先がどこか遠くへ消えてしまったとしたらどうだろうか。
まるで尻尾を失ったトカゲのように、その指先が何事もなかったように生えてくることはないだろう。消え去った指の存在を惜しみながら、傷がふさがる頃には4本指の手の完成だ。私は生きた道程を振り返る時、そこで失ってしまった物たちの面影を探す。大切な人だったり、大切なものだったり。
もう戻らない「幸福」の欠片たちの残滓を、どこかへ見出せないかと躍起になる。小説内で多田が言うように、幸福は形を変えて私たちの前に現れるのかも知れない。だが私にとってそれは「再生」ではなく、ただの新しい出会いなのだ。過去に得た「幸福」は、これから出逢う「幸福」とはまた別のものである。消え去った指先がもう戻らないように、失ってしまった「幸福」だってこの手には戻らない。
だから私たちは、新たな日々の幸せや、あるいは今まで持っていた「幸福」に似た形をしたものを探すことで、心にぽっかりと空いてしまった空洞を埋めようとするのではないか。私は今から丁度4年前、親友を亡くした。彼女と過ごした日々は、とても充実していて笑顔にあふれたものだった。彼女がこの世を去った後、私は喪失感を抱えながら、それを埋める何かを探していた。
病院で手術を受ければ元に戻る指と違い、亡くなってしまった人間はどうやっても戻らない。また新たな友人をつくり、充実した日々を送ることも考えたが、やはり彼女以上に必要だと思える存在にはまだ出逢えていない。結局、私は諦めた。彼女の不在を認め、その寂しささえも受け入れることにした。
なくした指先を探すより、指先をなくした世界で何ができるかを考える。多田や行天のような運命的な出会いはないかも知れないけれど、大切な人を失った自分を乗せて、時間は確かに前へと進んでいく。きっと自分が思っていたよりも、世界は思ったよりも悪くないのかも知れない。爽やかな読後感に浸りながら、私は温かな熱を持つ自分の指先へそっと触れた。
(20代女性)
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