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読書感想文「あの頃ぼくらはアホでした(東野圭吾)」

読書感想文「あの頃ぼくらはアホでした(東野圭吾)」

「あの頃ぼくらはアホでした」の読書感想文①

あの頃ぼくらはアホだった。これは東野圭吾のエッセイ。東野圭吾がいかにしてつくられたかが垣間見える本で、思わず共感してしまう内容ばかりである。

子供時代、中学生、高校生、大学生、自分も同じ経路をたどって今に至るもんだから、共感できるものばかりなのだ。考えていることはいつの時代もおなじなんだと安心するところもある。

さらに、年代が違うからこそ、この時代に流行ったもの、通信手段が今より発達していなかった分またおもしろさが垣間見え、人間臭さがにじみ出ていて本当に面白いのだ。

ドキドキしながら読むというよりかは、そうそう!わかる!わかる!と共感しながら読むのだ。自分とは年代が違うが、面白いなと思ったのは中学時代のヤンキーの話である。

クラスに一人はいるもんだが、時代が少し違うだけでこんなに違うのかと最初は読んでいた。ヤンキーの個性というか仁義が彼らなりにあってというところ、わたしの時も本当に根っこからのワルはいなくて、何か主張したいというところに共感するのである。

そして、受験だったり将来のこと。いろんな人と関わって何かしらがきっかけとなって物事は動いていくんだということがよくわかる。

しかし、昔のことをよく覚えているなというのが、正直な感想。そして、やはり作家になるくらいなのだから、交友関係も一般人とは違うということ。大学も今も昔も新入生歓迎コンパは飲ませることは変わりがないんだなという驚きとともに失望。

この本をもう少し若いころに読んでいたら、もう少し世界が変わったのではないのかなと思ったりもする。

なぜなら、自分は大学の時飲み会などには参加したが、あまり学校に通わないでバイトばかりしていたので、先輩とか就職活動も熱心にしていなかったからだ。

そもそも大学がどういうものか就職活動がどういうものか何も知らず、ただ、自宅と大学とバイト先を往復していた日々がとてももったいなく思えた。

東野圭吾のようにエッセイにする思い出がないのだ。これはとてもさみしいことだなと大人になってから思った。今でも人付き合いは深入りせず、広くもなくただただ浅い。親しい人は数えるほどである。

自分の葬式にはどれだけ来てくれるのだろうかなと、これからの自分のあり方について考えさせられた。共感できるところと、自分に足りないものの二種類の感情を呼び起こしてくれた。

(30代男性)

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