「海の見える理髪店」の読書感想文
この物語りは、過去と対峙する物語りである。誰だって、消してしまいたい過去を持っているものだ。そして、同じぐらい取り戻したい過去もあるという、この相反する二つの過去が、この作品では交差しているのだ。タイトルの穏やかさと、静かな海辺という舞台にふさわしい、静かな物語りだ。そして、読んでいると最初の疑問にぶつかるのだ。
なぜ、主人公の「僕」は、わざわざこんな何もない場所の理髪店に来たのかという事だ。まるで、この理髪店に来る事こそが目的かのようだ。そして、更に謎が深まるのは、理髪店の店内である。理髪店の鏡が写すのは、客の顔ではなく、美しい海なのだ。そんな謎を思わせながら、静かに紡がれる物語りは、とても淡々としていたのである。
店主が語る自らの過去は、決して客を相手にする話しではないのである。理髪店の店主だったら、知られたくない話しといっても良いのである。理髪店の店主は、あえて知られたくない過去を「僕」に話してくれるのだ。そして、店主は知る筈のない「僕」の過去を語るのだ。そして、もしかしたらそれこそが、「僕」が聞きたかった言葉なのかも知れないのだ。
「僕」は、思い出して欲しかったのだ。店主が忘れてしまいたいと思っている過去の一部を、「僕」は思い出して欲しかったのだ。だが、「僕」は本当に伝えたかった事を言えなかったのである。結婚式に出て欲しいという事だ。本当は、その事を伝える為だけに、この海の見える理髪店を訪れたのに、言葉が出なかったのである。
そして、その気持ちを店主もまた分かっていたのだ。だから、ささやかな願いを口にするのだ。よく顔が見たい。と、いうのが店主の願いだ。自分の事で辛い思いをしたであろう息子に、そして、それでも自分に会いに来てくれた息子に、店主が望んだのは、そんなささやかな願いだったのだ。読んだ後、ジワジワと切なさが溢れてくるのだ。それは、店主と「僕」の切ない再会が胸に染みたからである。
(40代女性)
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