読書感想文「二千七百の夏と冬(荻原浩)」

この話はある考古学者が大昔、紀元前2700年、縄文時代の骨を発掘するところからから始まる。骨というかミイラは、まだ、10代の男女が向かいあって手を繋いだ物だ。そこから、古代に生きた二人の物語がはじまるのだか、私はこの本を読んで、今、私達が豊かに不自由なく暮らしていけるのは、古代の人達の功績のお陰だと言う事を感じた。
 
そして、古代の人達は、生きる事、食べていく事に必死で、朝日とともに起き、夕日とともに寝る、そういう味気ない生活をしていた訳ではなく、今の私達と同じように人間関係に悩み、仲間と議論もし、時には恋もし、実に私達と近い感情を持っていたんだなという事を感じた。
 
この本の男女はお互い狩りに出かけ偶然に山の中で出逢い、惹かれあっていくのだが、今の10代の若者と違い、なんて純粋で素朴で真の人間らしさがあるのだろうと思った。お互いが何故か気になって気になって仕方がない。顔が見たくて仕方がない。でも、恋とゆう呼び名もその感情すら始めての二人は、まるで兄妹のようにじゃれあいます。
 

 
 
なんでこんなに気になるんだろうという気持ちに疑問を持ちながら。また、男は縄文人ですが、女はその頃広まり始めた弥生人。弥生人の方が顔が薄いので、男から見れば、変わった顔に写る。それなのに、綺麗だ、ずっと見ていたいという感情が爆発しそうになる。
 
そんな二人の逃避行が始まる。山を越えて逃げようとするのだが、今の時代のように地図もなく地形も全く知りようがないので、あの山までが世界。あの山が世界の果てだと思っている。今の時代の時代は空から地形をみる事が可能なので、世界には果てという物はない事がわかるが、昔の人は、今自分がいる場所だけが世界。
 
山に囲まれたこの村だけが世界だと本気で信じていたのでだろう。そして、そこを越えるという事はこの世とお別れする。もう二度と家族の元には戻れない。そういう覚悟だったのだろう。でも、この二人は山を越えてしまった。そこで逃げて逃げて逃げまくるのだが、最後に地震にあって亡くなってしまう。
 
なくなる時、悲しいというよりも、安心感、やっとこれで離ればなれにならずにすむ、という気持ちになっただろうと思う。この本を読んで、この二人が現在に生きていたらどんなだったろうと思った。今の時代は身分や民族の格差は多少あるものの、それで猛烈に反対される事もなく、幸せな結婚をし、子供も生まれ、穏やかな人生を終えただろう。
 
もしかすると、不幸な事故で亡くなるかも知れないが、ここまで反対される事はなかっただろう。今の時代のに生きてほしかったと思う。
 
(40代女性)
 
 
 
 

二千七百の夏と冬(上)
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1 件のコメント

  1. ぬにな より:

    ミイラって…無知って恥ずかしい

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