読書感想文「シッダールタ(ヘルマン・ヘッセ)」

全てを断ち切り、全てを愛す。これを成し遂げた者を覚者と呼ぶ。この本には不思議な力がある。読んでいる最中も、読後も、時間が経った今も、心のどこかでシッダールタの生活を意識している。シッダールタは親、友、金、女、息子を断ち、悟りを開く。私たち現代人の悟りとはなんだろうか。物質にまみれた近代文明の中で意識するそれは非常に危険である様に思う。
 
また日常生活の中に見え隠れする恍惚として目新しい存在を目の当たりにした時、私たちは悟りという言葉を使い、未知の世界への体験をしがない言葉だけで表現したりする。私には滑稽に見える。世界は欲に溺れ、そこへ頭のてっぺんまで浸かる人々こそ、盲目のまま邁進していることに気づかないままに悟り悟りと口にする。なぜ分かるのかと言えば、私がそうだからである。
 
この本は私の生活を変えてしまった。私は頭を丸めて寺へ入り、もう一度人生を考え直すことにした。サイの角のようにただ一人歩め、とお釈迦さまはおっしゃられたそうだが、やはり現代では人間は一人で歩むことは許されない。私は島に渡り自給自足の生活をしてみたが、気づいたことは腹が減って眠れないということだった。
 
川には時間が存在しない、それは循環し、雨となり、海になる。だから私も川を眺め続けたが、何も変わらなかった。ただ寒かった。携帯も持たなかった。それはただ寂しいだけだった。シッダールタは全てを手に入れた。金も、妻も、息子も、立派な靴も。だから、頂上から見た景色を知らない者は何を言っても負け惜しみになってしまうのだろう。私は到底敵う訳もない世界に勝負を挑んでいた。
 
きっとこういうものではないのだ。なぜか劣等感に包まれていた。大量生産、大量消費を日々繰り返す中で、何かを捨てなければいけない、今のままではいけない、そんな風に思わされながら読んでいた。心の安らぎを求めながら読み、劣等感に包まれて本を閉じる。これを繰り返していた。
 
どこかに救いを求め、ここに答えが書いてあるのだと思い手を伸ばした。しかし仏教は宗教ではなく、哲学であるのだと気付かされる。救いを求めて寄り添うのではく、ただ一人歩むためのバイブルであると。それは決して孤独を意味するものではなく、むしろ世界を愛で包むための方法であるということ。
 
口で言うのは簡単であるが、実行に移すとなればまた話は変わってくる。しかし私の日常の一挙手一同の中に垣間見えるシッダールタの哲学は、世界を確実に変えるきっかけになっている。
 
(30代男性)


 

 
 
 
私は気に入った著者の作品は、続けて読む方である。ヘッセの作品は友人に勧められ3作品ほど読み進め、次の作品を探したときに手に取ったのが、シッダールタであった。数ページを読んだ時点で、「静」の中にある激しい「動」を感じ、読み止めることが出来なかった。シッダールタは釈迦をモデルとした作品である。
 
そのまま釈迦の一生を書き記したとも、受け止められるが、ある一人の男の人生物語であるとも言える。読み手がどのような年齢で、どのような環境で生活を送ってきたかなどによって、全く解釈の仕方が変わってくると思われる。
 
私は、シッダールタを初めて読んだとき、今後の自分の人生についての悩みを人並みに持っていたが、読み終えたとき、心の中にあった黒くモヤッとした言い表すことの出来ない感情がスッポリと抜け落ち、その部分に優しい光が差し込むのを感じた。本作品は決して「仏教書」でもないし、悩みを解決するための実用書でもない。
 
悩みながら自分の人生を、自分の足で歩んだ人間の物語です。つまり、自分の人生は、自分で判断し選択し歩むものであり、その判断の結果が反映されるものである。だからこそ、一瞬一瞬を感じ、自分の道を歩むべきであって、「誰か」のせいで間違った人生方向に向かったというような責任転嫁は出来ない。
 
しかし、頑張れ!精一杯走れ!と鼓舞するようなものではない。歩く速度・走る速度は一人一人違うのだから、自分の速度で人生を進めればいいのだ。頑張りすぎず、力を抜いて、時には立ち止まり、振り返り、振り出しに戻ったとしても、人生を戻ったのではなく進んでいるのだ。
 
主人公に感情移入できる作品はあるが、この作品の不思議さは、読みながら「シッダールタ」の人生を共に歩み、それと同時に「自分」の人生を天上から覗いている(覗かれている)感覚になることである。海外の作品は、翻訳者の言葉の選び方によって、雰囲気が変わってくる。
 
同じ作品であっても、翻訳者が違うと、つまらないと感じていた作品が、ビックリするほど面白く感じることがある。しかし、この作品は、言葉が頭に入り理解するのではなく、言葉が心に入り感じる作品である。3年前に、ウィーンの美術館でクリムトのキスを鑑賞した。作品の前に30分ほど座り、ただキスを見続けた。気が付くと私は泣いていた。
 
隣に座っていたパートナーも泣いていた。作品から放たれる「愛」を体中に感じたからである。アートは人の心を揺さぶる力を持っている。「シッダールタ」は文学作品でありながら、アートの域まで達した作品であると感じている。
 
(40代女性)


 
 
 
この本を読み、人が成長していくとは、なんと難しいことかと感じた。親になったことはないが、親になることのその重大さを思い知った。男の子は父親を越えたいものだ。この主人公は早くに父を越えたいと思い、修行に出かけ、自分自身の成長にのみ意識を向け、歩いていく。そうした過程は私自身にもあてはまるので、読んでいて共感することが多く、面白かった。
 
主人公はやがて子供を授かる。そのときに、主人公は、かつて自分自身が家を出ていくのを許した父を思う。父親がどんな思いで、自分を見ていたかを知る。そのあたりの描写が大変心に響いた。父から離れて修行していきたい一心だったかつての自分は、いま、自分自身の子供のことが気になって仕方ない。自分には、この子を自由にさせてやれるほどの度量があるだろうか。
 
どこかで凡庸な父親を見下していた自分は、その父親以上に、目の前の子供に依存していないか。自らが高みに上りたい一心だった自分の浅はかさに気づく。凡庸に見えた父親の偉大さを知る。この辺りの文章を読んで、自分の人生を振り返るとともに、子供にも父親にも感情移入する自分に気づいた。そして、父親になることの大変さを知った気がした。
 
父は人が成長するとはどういうことかを知っていたからこそ、私が家を出ることを許したのだ、と主人公は気づく。ただし、後半部分は、内容が難しく、なかなか理解しづらかった。特に最後の方は、抽象度が高く、精神世界の本や禅の本でも読んでるようだった。全体として、難しいという印象を持った。
 
ただ、前半部分の主人公の思い、父への反発、父に対する新しい理解への到達、などの過程は自分の人生と重なる部分があり、面白いと思った。一つの映画を見ているようだった。10年前に初めて読んだときは主人公にのみ感情移入していたのが、今回は、父親の方にも感情移入している自分がいて、面白いと感じた。また、何年後か読んでみたら、違って見えるかもしれない思った。
 
(30代男性)
 
 
 
 

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