「シッダールタ」の読書感想文①
全てを断ち切り、全てを愛す。これを成し遂げた者を覚者と呼ぶ。この本には不思議な力がある。読んでいる最中も、読後も、時間が経った今も、心のどこかでシッダールタの生活を意識している。シッダールタは親、友、金、女、息子を断ち、悟りを開く。私たち現代人の悟りとはなんだろうか。物質にまみれた近代文明の中で意識するそれは非常に危険である様に思う。
また日常生活の中に見え隠れする恍惚として目新しい存在を目の当たりにした時、私たちは悟りという言葉を使い、未知の世界への体験をしがない言葉だけで表現したりする。私には滑稽に見える。世界は欲に溺れ、そこへ頭のてっぺんまで浸かる人々こそ、盲目のまま邁進していることに気づかないままに悟り悟りと口にする。なぜ分かるのかと言えば、私がそうだからである。
この本は私の生活を変えてしまった。私は頭を丸めて寺へ入り、もう一度人生を考え直すことにした。サイの角のようにただ一人歩め、とお釈迦さまはおっしゃられたそうだが、やはり現代では人間は一人で歩むことは許されない。私は島に渡り自給自足の生活をしてみたが、気づいたことは腹が減って眠れないということだった。
川には時間が存在しない、それは循環し、雨となり、海になる。だから私も川を眺め続けたが、何も変わらなかった。ただ寒かった。携帯も持たなかった。それはただ寂しいだけだった。シッダールタは全てを手に入れた。金も、妻も、息子も、立派な靴も。だから、頂上から見た景色を知らない者は何を言っても負け惜しみになってしまうのだろう。私は到底敵う訳もない世界に勝負を挑んでいた。
きっとこういうものではないのだ。なぜか劣等感に包まれていた。大量生産、大量消費を日々繰り返す中で、何かを捨てなければいけない、今のままではいけない、そんな風に思わされながら読んでいた。心の安らぎを求めながら読み、劣等感に包まれて本を閉じる。これを繰り返していた。
どこかに救いを求め、ここに答えが書いてあるのだと思い手を伸ばした。しかし仏教は宗教ではなく、哲学であるのだと気付かされる。救いを求めて寄り添うのではく、ただ一人歩むためのバイブルであると。それは決して孤独を意味するものではなく、むしろ世界を愛で包むための方法であるということ。
口で言うのは簡単であるが、実行に移すとなればまた話は変わってくる。しかし私の日常の一挙手一同の中に垣間見えるシッダールタの哲学は、世界を確実に変えるきっかけになっている。
(30代男性)
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