「キッチン」の読書感想文①
あの時はまったく知らなかった感情をいま、こんなにも抱えているんだ。吉本ばなな「キッチン」を初めて読んだのは中学生の時だった。母が買ってきてそれを借りて読んだのを覚えている。母は読みながらひどく泣き、心の奥まで痛いとそのとき言った。当時の私と言えば、まったく母の、というよりは今思えばこの作品の核心となるその感情を持ち合わせていなかった。だから中学生の私はただスルッと読み進めてそのまま深く心にとどまることはなく「読みやすかった」くらいの印象しか抱かなかった。
それを読み返してみようと思ったのは、30も過ぎてからのことだ。時々やってくる読書欲と軽く読めるものを多く読みたかったという簡単な理由で、ふとその中学生の時の印象を思い出し手に取った。振り返ってみればそれは選択を間違えているとしか言えないのだが、そんないきさつだったと思う。読み進めて行くうちに、すぐにそのことには気付いていた。だけれども、その時には目を離せなくなっていた。ここ数年間、心をくだいていた。モノ・ヒトをたくさん失った。失ったことによって起きた悲しいこともたくさんあった。その自分の抱えてしまった痛みや悲しみがふつふつと静かにわいてくるようだった。
それはただ感情が刺激されるとか激化されるとかそういった感覚ではなくて、本当に静かにそういった感情に自分が深く沈んで行くような感覚だった。大切なものを失くした。大切な人を失くした。その痛みの経験こそがこの作品の非常に重要なエッセンスであることをそのとき私ははじめて知った。何もかも失ったことのない中学生の私ではない私。その自分の心に刻まれた「成長」でもある「痛み」は、あの中学生の時とは同じ感想を持てないくらいの感動を自分に呼び起こしていった。
あの私が中学生のころの母は、思えばその直前に自らの父(つまり私の祖父)を亡くし、人を亡くすことの痛みの最中にあったのだ。あのとき「なんでそんなに泣くのさ」と言った自分の幼さと残酷さを今になると悔やむくらいにはなっていた。かといって、その痛みを思い出すことや悲しさを思い出すことが辛かったという作品ではない。その痛みを越えて前に歩き出そうとするチカラを自分に貯めておくことの大事さを確認できたように思う。
私はこの本を読む1年前に大事な人を亡くし、もう充分平気でいるつもりであった。悲しんでなんかいられないと無理矢理押し込んでいたのだと思う。押し込んでカチコチにかたまって動けなくなったその感情がやわらかくなって飲み込めるようになって行くようだった。悲しい時は休んでいいんだなと思った。ためしに、自分の家のキッチンを磨いてみた。冷蔵庫の音に耳をすませてみた。ピカピカのキッチンと静かなその音は今までなかった痛みを和らげることを教えてくれたようにも思う。
たくさんのものを失くしたように思っていた。そんな私はこの作品の核に触れるような大切な感情をようやく手にしたんだなと思った。それはただ悲しいことが悲しいのではなくて、悲しさやこんなにたくさんのことをを感じられる豊かさを持ったんだなと思った。読み終わってもう一度読み返して、中学生の私に「もう少しおとなになりなさい」なんてつぶやいてみた。
(30代女性)
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