「天国にいちばん近い島」の読書感想文
この小説の存在はは私の母から教えてもらった。昭和44年発行の小説だが、当時は爆発的人気だったらしい。まだ海外旅行がそんなにメジャーではなかった時代、ましてニューカレドニアなんて孤島について書かれた小説は珍しかったのだろう。
また、タイトルも人々の興味を惹いたと推測される。実際私も母から「天国にいちばん近い島」と聞いた時には、本当にそんな場所があるならぜひ知りたいと思ったからだ。そんなきっかけで私はこの本を手に取った。
実は初めて読んだのは今から約9年前。新婚旅行のお供として持参した。行き先はニューカレドニア。この本の存在を知ってからいつか行ってみたいと思っていた私は、念願のニューカレドニアでこの本を読んだ。
そして最近、再びこの本を読む機会があり久しぶりに読んだが初めて読んだ時と同じワクワクする感覚は変わらなかった。ニューカレドニアに憧れるモリが処女航海船サザンクロス号に乗って港を離れる姿が目に浮かんだ。船の中での他愛もないやりとりに、私がその場にいるかのような錯覚さえ覚えた。
この小説の面白い所は、体験型小説だという点だと思う。誰もが一度は経験したことのある体験と、モリの体験が重なって見えるため、より感情移入しやすい。そのほうが読んだ時のワクワク感や感動が大きくなる。話の途中で駐在員の青木夫妻が登場するが、彼等のニューカレドニアや島の人々へのののしりは読んでいる私でさえ怒りを感じるものだった。
人種差別はないというけれど、ニューカレドニアの人々が昔食人をしていたということから、今でも彼らを野蛮人だとバカにしている。ニューカレドニアは天国なんかじゃなくて娯楽も何もない退屈な島だと言う。
確かに海しかないニューカレドニアは日本人からすれば退屈なだけかもしれない。けれど、そこに住む人々は少しだけ働いてあとは贅沢もせずのんびりと日がな一日を過ごしている。彼らにしてみれば天国そのものじゃないかと思う。
天国かどうかを決めるのは人それぞれでいいのだ。そして彼らが何もないというこの島にあったのは、人々の温かさだった。見知らぬモリに優しく手を差し伸べてくれる現地人。それだけでも天国と呼べる島だろう。
日本は退屈はないが人々は互いに無関心、温かさはどこかへ忘れ去られた。どちらが天国かと聞かれれば私はニューカレドニアだと答える。モリは様々な人と出会い人間的に成長していく。ある日、モリはワタナベさんと出会う。
この人は日本人とフランス人とのハーフだ。ニューカレドニアはフランス領なのでフランス人は沢山いる。その後父が逮捕され日本へ強制送還、母は再婚してワタナベさんは捨てられた。そんな彼を育ててくれたのは島民だった。
フランス人も日本人も誰も彼を助けなかった、けれど島民だけは彼が困っているといつも救ってくれたどちらの国からも国籍を与えられなかった彼は、両国を憎みながら自分をいち島民と思い生きている。この話を読むと文明とは何か、国の発展とは何かを考えずにはいられなかった。
結局人類とは、豊かになればなるほど心は貧しくなっていく。だからこそこの何もない貧しいニューカレドニアは天国と呼ばれるんだと言うことがわかった。
働かなくてもいい、キレイな海を見ながら一日中ゴロゴロできる、そんな理由でニューカレドニアは天国と呼ばれていた訳ではなかったのだ。最初にこのタイトルを聞いて間違った天国を想像しついた私は心が貧しい人間の一人なんだと気づいた。
(30代女性)
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