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読書感想文「水滸伝(北方謙三)」

「水滸伝」の読書感想文①

全19巻に及ぶ作品であったが、少しの「飽き」も感じず、読了した。現代に生きている一人の男、一人の人間として、心の奥底で、意識せずとも渦巻いていた一つの疑問が解決したと感じた。それは、呼吸をし、食をとり、睡眠し、仕事をするということが、ただ「生きている」ことに他ならず、本当の意味で「生きている」ということでは無いということ。
 
現代の日本では命の危険、飢えの危機などに会う危険性は極端に少ない。しかし、それと引き換えに、本当の意味で生きるということそのものを、多数の人間が失っていると感じる。友人に聞いてもそう、家族に聞いてもそう。「何かに命を掛けて、生きているか?」「侵さざるべき自分の信念を持っているか?」「何のために生きているか?」大抵の人は、こういった疑問を疑問と思わず、生活していることと思う。 
 
まず、疑問にさえ思わないのだ。平和に過ごせれば、金さえあれば、仕事さえあれば、好きな人が居れば。時代が違うから、そんなことは当たり前だ、そんなことを考える奴は暇な人間なんだろう。そう思われるかもしれない。この作品を読めば、その命に対する堕落に抵抗を感じることと思う。生きるとは、天命を全うするとは、どういうことなのか?
 
私と同じ疑問を持ち、そして解決するに至ると思う。命と魂を燃やし、やれるだけやって、死ぬ、という単純明快なことが、現代ではなかなか難しい。命と魂を燃やして生きたことが有っただろうか。どんな苦しいことに苛まれようとも、自分の信念に殉ずることができるだろうか。
 
四肢が引き裂かれるとしても、好きな人に命を掛けられるだろうか。仲間に向けられた矛を、自分が受けられるだろうか。その「覚悟」を持って生きれば、命を削り、魂も燃やし生きることが出来るのではないか。例え無様に死ぬとしても、死ぬ間際、本当の意味で生ききった、と思えるのではないか。この作品に出会い、「生」そのものに対しての考えが、変わった。
 
「本当」に生きたい者にとっては、現代とは、ある意味とても難しい時代だと感じるが、「生」そのものは、古今、変わらないものだと思う。日々の在り方、命の在り方を模索し、少しでも、本当の意味で「生きたい」と思う。
 
(30代男性)

「水滸伝」の読書感想文②

かっこいい漢(おとこ)達に出会いたいのなら、ぜひおすすめの小説です。皆さま、多かれ少なかれ憧れの人物に心を馳せてはいないでしょうか?民衆は常にアイドルを求めるではないですが、それは必ずしも好意を抱く偶像だけでは無いと思います。心の中にあるダンディズムを抱き、それを小説という場所で見出している方々、結構いらっしゃると思います。かっこいいと言っても花の種類が多く多種多様であるように、いろいろな漢達が登場します。かっこよさはこうだ!という一片的な見方や表現でなく、そう言った描写も、この小説の魅力です。 

舞台は中国・宋の時代です。日本で言えば鎌倉時代にあたります。腐敗した時代、犯罪者や盗賊が横行し、まともに生きることが難しい世の中で、この腐敗をどうにかしてただせないか?と思う人達が行動を起こします。どう動いたらいいのかわからないという人達がほとんどでした。

この世をただすというならば、ゆくゆくは宋国と対峙することになります。それを考えると多くの仲間や、国と対峙するため、外交や戦争も視野に入れなければなりません。となるとそれにかかる資金の調達も視野に入れなければなりませんが、そこを踏まえて行動を開始した人達がいます。

それが晁蓋(ちょうがい)・宋江(そうこう)です。長い時間と労力をかけてやがて梁山泊という組織を形成。宋国にとっては反乱軍です。ただ一地方で盗賊まがいに暴れるのとは訳が違います。「息を殺しながらも10年かけて、それでも動いた」と宋江は言いましたが、その中で何度も、もどかしい思いをしたに違いません。

膨大な時間はかかるとわかっていても、その間にも民衆は苦しみ…という気持ちの葛藤とも戦いながら仲間を、国をただすために必要な資金ぐりを視野に入れた行動は、どれだけの胆力が必要だったか想像力を掻き立てられました。

また、船の扱いに長けるもの、元塾講師、村の長(村長)、農民、漁師、狩猟を生業にするもの、飛脚屋、参謀・作戦を描くことが得意な人、医者、盗人などなど。それぞれの分野の専門家が、それぞれの場所で活動を、戦いを開始します。

その道の人でなければ、わからないような葛藤・苦労・栄光を読み解いていくうちに、自然と感情移入し、まるでその人になったかのような経験ができるのも、この本の魅力です。最後に、そんな漢(おとこ)達のなかから一つ、エピソードを紹介してこの小説紹介を締めくくります。その人の名は鄭天寿(ていてんじゅ)です。

戦争孤児のような幼少期を過ごします。その最中、弟を失います。生きる為には盗みを働かなからばならず荒んだ子供時代でした。本人も、どうせ盗人として生き、どこかで捕まって処刑されるような人生さと諦めの念に支配されるような精神状態で生きていました。

その時、晁蓋(ちょうがい)という人に会い、そこで下働きを始めます。ある時、この晁蓋に「この国の腐敗をただしたい、協力してくれ」と頼まれます。鄭天寿自身、最初は(この人と一緒に働いて少しでもこの腐った国に憂さ晴らしができればいいや)ぐらいの考えで、協力することにしました。

しかし、時には残虐で現実に同胞を戦いで失う場面にも遭遇したりと、その活動は凄惨を極めた部分もありながら、鄭天寿(ていてんじゅ)も考え方が変わります。「晁蓋(ちょうがい)と梁山泊という組織で戦い続ければ本当に腐敗した世の中をただすことができるかも」と。

それだけ梁山泊という組織は宋国に対してあらゆる方面で準備を喫して向かい合うほどの反乱軍になっていました。そうこうしているうちに鄭天寿は梁山泊・軍部門の大隊長という立場で戦場を駆け巡ります。その長い半生の中で鄭天寿は子供の頃からの人生を振り返るのです。

そして、「思えば遠く長い道のりだった。死んだ弟の肩を抱き、涙も出ないまま原野を駆け回った時からいったい、どれほどの旅をしてきたのだろうか」と語ります。盗みを働くことでしか生計を立てられない幼少期。唯一の肉親とも言うべき弟との悲しい別れ。

飢ていく弟の肩を抱きながら助けを読んでも虚しく響くだけで、ついには弟を死なせてしまったという自責の念の苦しみ。晁蓋との出会い、仲間との出会い、厳しい戦いとの日々、同志を失うことも。それらを経て梁山泊軍大隊長という立場を任されるまでに成長していく過程を読みました。

その上で「思えば遠く長い道のりだった。死んだ弟の肩を抱き、涙も出ないまま原野を駆け回った時からいったいどれほどの旅をしてきたのだろうか」の一節です。読みながら涙が出ました。実はこの文章を書きながら今も軽く泣いています。

(40代男性)

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