読書感想文「語彙力こそが教養である(齋藤孝)」

語彙力というワードをお聞きになったことがあるだろうか?語彙とは言い換えれば言葉のことで、語彙力とはどれだけの言葉を知っていて、且つ使いこなせるかということである。私がこの本を読んだきっかけは、自分の文章作成能力の低さをなんとかしたいという思いからだった。

 

本記事を読んでいる皆様も普段の仕事の中で書類を作成する機会が多いと思うが、私の場合は医療職で病院という特殊な職場環境にいるせいか、外部に対してかしこまった文章(ビジネス文章)を書く機会は少なく、どちらかといえば医療用語を平易な表現で記述することに重きを置いていた。

 

しかし、歳を重ねてきたにもかかわらず自分の文章が稚拙であることに危機感を持つようになり、書店でふとこの本を見つけた瞬間に「これだ!」と感じた。では、いったい語彙力と教養がどう関係し、且つどんな損得があるのだろうか。あるビジネス場面を例にとって考えてみる。

 

 

 

自分と上司とがお得意先の偉いさんと話していたとする。その中で、上司とお得意先の方が何やら慣用句を交えて談笑していたとして、ここでやってはいけないことは「今のどういう意味ですか?」と自分の知識の無さをお披露目することや、わかったようなフリをして適当に笑って誤魔化すことだ。

 

おそらく、相手方には自分の低能さが露見しており、それによって自分は信用を無くしてしまったり今後のビジネスにおいても不利益を被るかもしれない。つまり、相手に「この人は教養も無ければ、この程度の言い回しもわからない人だ」と烙印を押されてしまわないよう、しっかりと語彙力を鍛えておくことが重要である。

 

相手の巧みな表現に対して、その言葉の意味を理解した上で気の利いた返しができようものなら、「この人とは話が合うし、ずっと話していても飽きないな」と思ってもらうことも可能であり、自身の株も急上昇することも間違いなしである。

 

冒頭に記載したとおり、単に語彙を暗記するだけでは語彙力がアップしたとは言い難い。また、前述したような上手い返しも日々の鍛錬無くしてあり得ないだろう。本当の意味で語彙力が高いということは、覚えた言葉を日常の中で自然と使いこなせて、またその由来までも理解しているレベルに到達しているということだ。

 

普段の生活の中で他者に言葉の由来を語る機会は少ないにしろ(うんちく野郎と揶揄されるかもしれない…)、正しく使いこなせることは社会人としてかなりのアドバンテージであると思われる。例えばある文章を書く際に、どうしても似通った言い回しをしなければいけないときがあったとする。

 

複数の項目で「必要に応じて」という表現をしたい場合は、「適宜」と言い換えるのもよし、感謝の気持ちを表す手紙などでは「感銘を受けた」「心の琴線に触れた」などと使い分けることによって、文章構成がくどくならずスマートになるとは思わないだろうか?

 

著者は本著のなかで、「インプットからアウトプット」が重要であると語っている。要するに、覚えたことを表現できてこそ意味があるということだ。私も例に倣い、普段の生活の中でいかに覚えた語彙を自分の言葉で表現するかを心がけている。

 

それは実際の書類作成の場面であったり、ブログや他のSNSなど方法は様々だ。実際に文章を書いてみて、「この表現は正しいだろうか」と思いとどまって調べ直すこともあるため時間はかかるが、この本を読む前と読んだ後では雲泥の差とまではいかずとも、文章作成能力は飛躍的に向上したと確信している。

 

また、この本を読んで語彙力アップに目覚めた後は、少し難解なビジネス書や啓発書を読んだ際も、割とスムースに頭の中に入ってくると思うので、一石二鳥ではないだろうか。いや、もっと読みたいという気持ちに駆られるため一石三鳥かもしれない。

 

(30代男性)

 

 

 

語彙力こそが教養である (角川新書)
齋藤 孝
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