読書感想文「人間とは何か(マーク・トウェイン)」

老人と青年の語らいの中で、老人があまりにも悲観的であり過ぎるのがとても悲しいけれど現実的である。それに対して青年は繰り返し楽観的とも言えない世間の常識や「良心」を持ち出しては老人に分析され、老人の悲観を拭う事に失敗する。
 
この悲観は教育の役割が型にはめる矯正に過ぎないといった中身から、宗教の否定にまで及ぶ。しかも宗教の役割そのものを否定するのではなく、その良心的部分だけ否定しつつ存在意義を否定しないところも老人の悲観の現れだ。
 
何かそ存在を否定して改善が必要であるとか替わりに何かが必要であるという建設的批判ではなく、存在を否定せず存在の不変的意義を否定している。青年に同調しつつ読んでいてもいつの間にか老人の説く悲観こそが現実的であると感じずにはいられない。

 
 
そんな中で軍人とその家族を乗せた船が沈没する時に、軍人が皆家族を救うために自ら犠牲になる美談が登場する。これも老人の目からすれば軍隊で訓練を受けた男達にとっては、与えられた使命として婦女子を助ける事が当然の行動であるとしている。
 
この話を最初学生時代に読んだ時に私は強い抵抗を覚えた。自分の身に置き換えて考えると犠牲になることが可能であろうか疑問だったからである。しかし社会に出て荒波にもまれてから読み直すと学生時代ほどの違和感を感じなくなった。
 
更に仕事や私生活で修羅場を潜ると、むしろ家族を救うために犠牲に成れるなら喜んで甲板に整列して敬礼したり鼓笛を鳴らしたりしながら海に没した男達に共感する様になった。対してこの小説の中の青年は何十年経っても当たり前に歳も取らないし成長もしない。
 
無垢な青年の心を忘れそうになる自分への戒めとしてもこの小説を何年かに一度読み返す。そうすると楽観的な自分の甘さを悟り、悲観的予測の重要性を思い返すきっかけとなる。私は人は生かされている機械ではないと今でも信じるが、必ずしもそう云う側面がある事は否定できないと徐々に考えるように歳とともに変わって来た。
 
(50代男性)
 
 
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