読書感想文「破戒(島崎藤村)」

作品の後半で瀬川丑松が父の戒めを破り、自身の身分を告白する場面は有名であり賛否の分かれるところである。

 

「丑松はまだ詫び足りないと思ったか、二歩三歩退却して、『許して下さい』を言い乍ら板敷の上へ跪いた。」「見れば丑松は少し逆上せた人のやうに、同僚の前に跪いて、恥の額を板敷の塵埃の中に埋めて居た。」何も悪くない丑松がなぜ謝らなければならないのかと悔しく思った読者は多いと思う。

 

平成の今だから差別は間違っていると言えるのであるが、この作品が出版されたのは明治39年である。明治維新により差別はなくなったのであるが、実際は差別が根強く残っていた時代である。この時代に馬籠の旧家出身の作家がタブー視されがちな部落問題を取りあげ、明治維新の欠点をついたことは驚くべきことだと思う。

 

丑松が尊敬する猪子先生のことで文平と口論となる場面があるが、その時の丑松の言葉は藤村の心情を表していると言える。「彼の先生の手から職業を奪取ったのも、彼様いふ病気に成る程の苦痛を嘗めさせたのも、畢竟斯の社会だ。其社会の為に涙を流して、満腔の熱情を注いだ著述をしたり、演説をしたりして、筆は折れ舌は爛れる迄も思い焦れて居るなんてー斯様な大たはけが世の中に有らうか。」

 

 

 

どんなに努力しても身分から逃れられないという当時の日本社会のゆがみを丑松の姿から感じることができる。この小説が差別に満ちた社会を変えていくきっかけとなったことは間違いない。藤村が丑松のような青年に心を寄せたのは、自分もまた心に闇を持つ人間であったからである。

 

藤村の父島崎正樹は村民のため山林の解放運動に力をつくした人であるが、それが原因で戸長を免ぜられ後に座敷牢で狂死している。丑松とは違う悩みではあるが、自身の「血」について深く考えている点は似ていると思う。

 

日本社会変革に大きな貢献をしたこの「破戒」であるが、問題点も多くある。藤村は丑松のような学問をして品行方正な人には好意的であるが、そうでない人の描写は中には酷いものもある。すべての人が平等、という考えからは遠いように思う。しかし平成になっても未だに差別は完全になくなったとは言い切れない。差別問題については何も言わないことがいいと思われがちであるが、議論がなければ何も改善しない。

 

反論を受けつつも日本社会の陰湿な部分に切り込んだ藤村の姿勢に学びたいと思った。

 

(50代女性)

 

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