読書感想文「袋小路の男(絲山秋子)」

人間と人間との間には非常に曖昧な要素が含まれている、私がこの本を読んで一番最初に感じたことだ。
 
特に男と女の関係性の中には少なくとも損得や愛情を得られるかどうか、性欲を満たせるかどうか、などと自分本位の感情が必ず含まれていると思う。もしかすると男女間の友情なんてものは存在しないのかもしれない、と良い意味で思った。人間は動物であるため必ず性の問題に直面する。
 
しかし感情があるからかこの性の問題を先延ばしにしたり、あるいは直球に終わらせる方向へ持って行ったりと相性などによって対応が変わってくるのだろう。小田切孝と大谷日向子の二人の微妙な心情の変化は優柔不断とも言える現代の人間を象徴している。私は女性だが、小田切の言い分や感情に通ずるものがあった。
 
まさに私の根底にある気持ちが綴られており、とても他人事には思えなかった。逆に、小田切がなかなか関係性を着ることができなかった大谷のような男性は私の近くにも一人いる。この二人の関係性に果てがないということにどこかで私は安心感を抱いていた。関係性に名前がつくことは一生ないのだけれども、どこかお互いに付かず離れずのような関係で幸福感を得ることができるのは私も小田切や大谷らのように人間だからなのだろうと思った。

 
 
私は小田切のようにあまり高校に通っていなかった。しかし高校では名前が知れている。ここにも共通点を覚えた。それなりに器用にやれてしまうのだが、本質的には非常に不器用なため、そこが異性に評価されるのではないかと小田切と自分を重ねて思った。
 
しかし人に対して興味はさほどないため、結果振り回してしまうのだろうが、今まで追いかけてくれていた異性が一気に離れてしまうのはどうも落ち着かず、ずっとそばに置いておきたいという気持ちが生まれることも否めない。また、自分と真逆の性質を持っていたり自分にないものを持っている人というのはなんとも関わりがいのある人だと感じた。
 
そのような人が人生に潤いや深みを持たせて自分の人間性の形成に影響してくるのだと思う。この本を読み、私はそのような自分と真逆で波が立つような人物から逃げずに立ち向かおうと思った。人生を自分なりにもがきくるしみ、生きてやったぞいつ死んでもいいぞと思えるようなものにしたいと心から感じた。
 
読み始めに感じた人間と人間との間には非常に曖昧な要素が含まれていると言うことは読み終わった直後にも感じ、その感情は私の体に浸透していった。
 
(20代女性)
 
[amazonjs asin=”4062758849″ locale=”JP” title=”袋小路の男 (講談社文庫)”]
[sc:post-under-massage ]

この感想文にコメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です


シェアする