読書感想文「変身(フランツ・カフカ)」

余りにも有名で、奇怪なこの冒頭に釣られ、この作品を読んだのは私がまだ十代のころであった。その時は主人公・グレゴールが“変身”してから後の展開……家族との葛藤やグレゴール自身の心理の変化にばかり注目していた。

 

“きっと、グレゴールは元に戻るのだ”そう期待して読んでいて最期は後味の悪さと何ともやるせない感覚を味わった。何とも奇異な設定のストーリーであるが、今読んで見ると現代の世相に相通じるものがある。グレゴールは悩みを抱えていた。

 

毎日の激務に身も心もボロボロになっていた。しかし“両親の借金を返済しなければならない”その使命の為、逃げ出す事も出来ず理不尽な扱いを受けていた。グレゴールの勤め先は今で言う所の“ブラック企業”ではないか?

 

何か不満を訴えても揉み消されるか、今よりももっと酷い扱いをうけたり、最悪解雇されるかもしれない。何より両親の借金を返済するために、ブラック企業だろうが何だろうが、石にかじりついても勤め上げなければならない。

 

こんな目に遭っていたら、誰でも精神が壊れて行く。精神的疾患、うつやパニック障害にならない方がおかしい。その精神的疾患を作者は誰が見てもそれと分かる“変身”に置き換えた。精神を病んでいても黙っていれば気付かない場合も多いが、視角的に変貌したのなら、その変化を周りの者は見過ごす事が出来ない。

 

その後の家族の、グレゴールへの対応を見ても“引きこもり”の子供に接するような、“心配だけど恐い、体裁が悪い、忌々しい”そんな感情が露になっている。それはやがてグレゴールに林檎を投げつけるという暴挙として爆発し、グレゴールは身体のにめり込んだ林檎と傷口が腐り、自分も弱って行く中家族に対しての絶望を感じるのだ。

 

グレゴールを“変身”から解く方法は何だったのだろう?若い頃読んだ時はそれが解らなかった。しかし、今となってはそれが良く解る。しかしカフカがこの物語をハッピーエンドにしなかったのは、それがとても面倒で大変な事だと解っていたからだろう。

 

その結果、この物語は“家族を助ける為に我が身を犠牲にして働いた青年が家族に見棄てられる”という殺伐としたものになったのだ。グレゴールは現代の働くもの達の縮図だ。いつか私も毒虫になってしまうかもしれない。そんな危機感を覚えた。

 

(40代女性)

 

 

 

 

かなりのインパクトの大きいお話しで、自分自身に自覚しているコンプレックスがある場合には他人事ではない様な気がする作品です。社会的なコンプレックスがあるなど、ちゃんと世の中の流れに自分自身が乗っていない。

 

例えば自分は就職をできていない時期があり、その時にはこの作品の様に家族から鼻摘まみ者にされて避けられている様な被害妄想をしていまいました。どんな風に対応されているか文字にしようとしたら、この変身の様に嫌悪感を持たれてしまう姿形になって毛嫌いされながら扱われている様な気がして、この主人公に共感してしまいました。

 

主人公は家族を姿形が変わってしまっても愛し続けているのに、肝心の家族は大きな腫れ物を触る様な扱いで、関わったり触ったりすると何か得体の知れないものに感染でもしてしまうかの様な扱いが悲しくもあり、現代社会にも共通するような相手への対応の仕方の様に思います。

 

例えば精神的な疾患を得たくなくても得てしまった人からみても周りの家族や職場の人、友人から受ける対応の印象ってこんな風ではないのではないかな?と思ったりもします。現代社会でも、その様な社会的なウィークポイントは例え家族でも表にだしてはいけない。家族間といえどもそれを悟られてはいけない、常にちゃんと尽きないでハキハキ働き月並みであるというかなりシビアさを作品を通して感じました。

 

家庭によってはその様なウィークポイントでも家族とともに乗り越えていくことができる家庭に生まれたらいいのでしょうが、自分ははやり、その様な温かい家庭ではなく、表面上はまともな社会人で、どんなに気持ちなどが弱っていても問題なく生活している様にみせないとならなかった家庭でした。

 

もし、その様なウィークポイントを家族に見せてしまったら、家族はかなり大げさに過敏に反応して騒いだり、騒ぐのに一緒に課題を乗り越えるべき行動などはとらずに自分だけは安全地帯に逃げてギャーギャーと非難するんだろうな…と思います。

 

もしかしたら家族といえどもそれが普通な反応かも知れませんが、変身の主人公とともにされた方はとても心が傷つきます。自分を守るにはまず、家族から自分を守らないといけない。そんなふうに感じさせてくれた作品でした。

 

(30代女性)

 

 

 

この作品の主人公であるザムザの社会的つながりが如何にして崩壊し、形骸化してゆくかを読んだとき、不気味なほどそれらの現象が身近に思えて仕方がなかった。文脈の説明が不可欠と考え、ざっくばらんに物語を説明する。ザムザはある朝、目を醒ますと虫に変身している自分の身体に気がつく。

 

彼はびっくり仰天するが、誰かに助けてもらおうとは考えずまず冷静に、自分の容姿を認めてもらうが為に家族と会社の同僚にその姿を晒す。案の定、彼はただちに罵りを浴びせられることになる。

 

4人家族(ザムザ、父、母、妹)の家計を支えていたザムザであったが、そのことが知られ、会社をクビになってしまう。時間が経つにつれ家族は次第に彼が本当に虫になってしまったことを認め、食事の世話だけはするようになる。

 

収入を失った家族は空部屋を貸してなんとか食べていこうとする。そうこうしていると、ザムザは暇な一日の中で虫的な楽しみを見出し始め、ふともとは人間であったことを忘れてしまう。彼はその馴化のプロセスで人間である自覚を保ちながら身体的には虫であるという現実を受け止めるために葛藤するのである。

 

ある日のこと部屋の賃借人にその正体がばれてしまい、そのことが原因で家族は動揺し、彼の措置を話合うことになる。ザムザは、その家族会議によって真情(殺害の企て)が暴露されるのを盗み聞きすると、翌朝、なにかを悟ったかのように息絶えるのである。

 

「変身」の教訓は、外形的に受け入れられない者は排斥される、といったような単純な論理ではなく、たといその者が「自分」の命を救い、パンを与え、保護するために尽くした者であったとしても、「自分」とコミュニュケーションもできず、同じような飯も食えず、同じような生活ができなければ共存はできない、ということではないだろうか。

 

この虫はもちろん「他人」ではない。この虫は以前には「自分」たちの生命を保護した尊ぶべき者である。端的にいえば、だれかが私の為にしてくれたことをあたかもなかったかのようにふるまってしまうこともあるということを私はこの作品から読み取った。家族がしなければならなかったことは、その事実を受け止め、彼を徹底的に虫にしてあげればよかったのだ。

 

(20代男性)

 

 

 

このお話は主人公のグレゴール・ザムザがある日、起きたら大きな虫に変身していたという場面から始まり、最後には死ぬのである。読んだ直後に感じたことは「救いがない。」であった。

 

ドイツ語が原文なので読めるわけがなく、どのようなニュアンスかは分からないが、山下肇、山下萬里による翻訳では毒虫に変身していた、と書いてある。つまり具体的な虫の種類は書かれていないのだ。おそらく、節足動物で足がたくさんあるという描写はあるのでムカデやダンゴムシのような外見であったのだろう。

 

「変身」という物語は一言で言えば、「絶望」から始まって、「絶望」で終わるのである。まず、主人公の家族は自分の家に間借りさせている同居人が毒虫の存在を知ったため、気持ち悪がって出て行ってしまい、家賃収入がなくなってしまうので生活に困ることを予期するのである。

 

また、主人公は虫になったために仕事を休まなければならず、収入がなくなってしまうのである。このことでさらに虫になった主人公を煙たがるという行為が加速するのである。父親は何度も主人公を殺そうとした。父親が主人公を人間に戻すための方法を模索する様子は全くない。

 

母親も毒虫となった主人公に消えてもらいたいのである。父親は、最初毒虫に気持ち悪いから消えてもらいたいという気持ちを抱いていたと思うが、段々この世から消えてもらいたいという恨み、憎しみに近い感情を抱いたのではないか。物語の終わりの方で父親が主人公に林檎を投げ、大けがをさせるのだ。

 

それが致命傷となったので主人公は1ヶ月後くらいには動かなくなり、死ぬのである。死んだ後、家族はまるで喜んでいるかのようであった。大喜び、ではなく安堵感と共に日常を取り戻せた喜びを噛みしめていたのである。主人公は背中に林檎を投げつけられ、林檎をどかしてもらえずに、次第に衰弱してゆき死んでしまうのに、である。

 

家族であった人が死んでも、虫になってしまっていたということで、死を悼んでもらえることがなくなってしまうことに恐ろしさを感じた。主人公は、どうやって人の姿に戻れるかの思案もなく、最初からほとんど絶望のなかで生活し、家族にも生きることを拒絶されるという絶望のなかで死んでいったのだ。

 

小さな希望を見つけては潰されるような生活であったのだ。主人公に救いが全くないのである。私は救いがない話を読むのが好きなので、「変身」は好きな物語の1つである。読み終えた後に、「どうすればよかったのか」を考えることができるからである。

 

(20代女性)

 

 

 

 

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1 件のコメント

  1. オレゴマニア より:

    カフカの名前が有名なので、というか名前だけ知っていたので、変身を読んでみました。
    主人公(グレゴール)が虫に変身してしまうという奇想天外な出発なので、まず、これは
    あるシュールなものを描こうとしているのか
    あるいは、風刺を用いた小説なんだな、と
    思いつつ読み進めましたが、内容はむしろ主に家族を描写したわりと日常的なものだと
    思いました。 ただ、わたしは原語ではなく日本語の翻訳を読みましたので、ひょっとすると文章のいたるところに原語だけが表現できる微妙な皮肉やユーモアやあるいは社会に対する風刺というものが隠されているのかもしれません。
    と、いうことで、日本語で読んだ感想ということになります。
    正直、あまりピンとくるものがなく、たぶんわたしの感受性の弱さによるものだと
    思いますので、作品だけではなく不随して
    カフカの人生などについてネットで読みしらべてみました。 すると彼は後年に結核をわずらっていますね。 もし、この作品が結核をわずらったあとに執筆されたものであれば、グレーゴール、つまりカフカ自身が結核という変身をしたために起こった家族内での変化を描いたものではないかと
    思うのです。カフカは生前父親となにかと軋轢があったようで、その様子も小説から伺い見ることができます。
    なので、わたしの感想は、自分が結核に
    なることにより、家族がどのように変わっていったのが、また、自分が病死(虫も
    死にました)したあとも家族は平穏でやっていけるものだ、ひとはいかに親しいものを失ってもやがてはまたもとにもどり、あたかもなにごともなかったかのように生活できるものだ、くらいのことを描いたのではないかというのがわたしの感想です。
    もっともピカソの絵のようにある人には
    ものすごい感動を与えるのかと思いきや、
    その背景(ピカソの他のひとによる評価など)をしらない人がみれば、ただのいたずら書きのようにも思うかもしれません。
    それと同じで、この作品も、”あら、そうなの”と思って読むひともいるんじゃないでしょうか。 わたしは、”あら、そうなの”の一人です。 ひとえにわたしの
    無知さからかもしれませんが。

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