読書感想文「バッテリー(あさのあつこ)」

バッテリー、と言えば車や電池を連想するくらい、野球には縁の無い私である。電車で遠方の友人を訪ねるお供に、ちょうど良い厚さの文庫をキヨスクで探していた時、この作品に出会った。

 

景色を見ながら軽く読破するつもりが、主人公の巧と弟の青波、そして彼らをとりまく友達、そして大人達の魅力にすっかり取り憑かれ、夢中で読んでしまった。投手として天才的な才能を持つ巧の傲慢で自信満々な態度は、しばしば友人や大人を苛立たせたり、深く傷つけたりする。

 

思春期特有の、大人に対する潔癖なまでの苛立ちは、かつて自分も感じていたたけに、懐かしく、またほろ苦くもあり、同時に眩しくもある。巧は努力家で完璧だから、そうじゃない者の気持ちが分からないし、分かりたくもないのだ。

 

それと対になるのが、病弱の弟、青波。彼は兄と対照的で、常に病気がちで寝込むことが多く、母親にも心配されている。寝込んでいるあいだ、様々な人間模様を観察し、考える時間がある分、他人の気持ちを慮ることにおいては兄の巧より優しく大人びた一面がある。

 

何もできず、部屋で休んでいるしかない自分に苛立ち、兄のように野球をしたいと願っている。母に心配をかけたくないとずっと良い子でいた青波は、野球なんてできるわけないでしょ!と頭から反対する母に初めて反抗し、野球を通して少年から青年への道を踏み出していくのだ。

 

 

巧はそんな青波を見て、親に心配かけてワガママで無茶ばかりしているように感じ、何故かイライラしてしまう。野球はそんな甘いことでは出来ないと突っぱねたり、キツイ言葉ばかりかけてしまうのだ。

 

心配の裏返しでもあり、自分が真剣に取り組んでいることに遊び感覚で入ってこられることへの嫌悪でもあるのだろう。青波は、どうして楽しく取り組むだけではいけないのか?と兄にも反発する。正反対の兄弟が、正反対のスタンスで野球に親しんで行く様子も興味深かった。

 

兄弟、親、友達との葛藤や摩擦、苛立ちが、巧を通して時に生々しく、刺々しく描かれ、それでいて若くて甘酸っぱい。大人びてはいるけれど、大人にはなり切れない中学生という不思議な時間を、こんなに鮮やかにみずみずしく思い出した作品は、他になかったと思う。

 

巧が私のように単なる反抗期というもので終わらない凄いところは、彼の野球へのひたむきさと、天才的な才能と、真っ直ぐな言葉で、大人まで変えてしまうところにある。すっかり野球をあきらめていた社会人のおじさんに、もう一度体を絞って会社に野球チームを作りたいという情熱の火を付けてしまったりするのだ。

 

スゲーな、コイツ!」と電車の中で呟いてしまったほどだ。そうした彼の厳しいまでに尖った危うさを良い塩梅で受け止めてくれるキャッチャー、永倉豪の存在も欠かせない。彼こそが、巧に、様々な違いや他人を受け入れる寛容さを教えるのである。

 

まさに、最高のバッテリーに違いない。巧の球を受けるのは俺だ、と胸を張る豪とはうらはらに、塾に行かせようとする豪の親との葛藤も目が離せない。日々悩みも葛藤もある、将来のことも全然分からない、宙ぶらりんの中学時代を生きる巧たちにとって唯一、頭を空っぽに打ち込める真実、それが野球なのだ。

 

(30代女性)

 

 

 

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