読書感想文「伴走者(浅生鴨)」

「伴走者」という役割があることを知ったのは、とあるパラリンピックの番組でマラソン選手の紹介をみたのがきっかだった。ロープでできた小さな輪を手に持って、そのロープでつながっている盲目のマラソンランナーに寄り添うように走る人のことだ。それ以上のことは深く考えず、立派だな、くらいに思っていた。
 
ところが、小説「伴走者」を読んで、私の考えが全く足りていないことに気が付いた。スキー編に出てくる伴走者の涼介のセリフにこんなものがある。「障害者は弱者だ。助けてやらなければ何もできないだろ。」まさに、このような障害者観を私は持っていたのだ。なので、伴走者においても、目が見えない弱者をお世話する立派なサポート役だと信じて疑わなかった。
 
涼介に伴走者をしてもらっているもう主人公の晴は、こんなことを言う。「私は目が悪いだけ。手も足も悪くないんです。荷物は自分で持てます。」障害者はできないこともあるが、それ以外は健常者と変わらない人間で、出来ることまでしてもらうことは嬉しくないだろうということに気が付いた。もう一つ誤解をしていたことに気づいた。
 
それは、伴走者をするような人は、立派な人間だということだ。確かに立派なのだが、伴走者もまた普通の人間にすぎないということを忘れていた。晴からなぜ自分を勝たせようとするのかと聞かれた涼介は、晴のためだと言うのだが、これは全て嘘とはいわないが、ほぼ嘘だった。涼介は自分自身の栄光のために晴を勝たせようとしていた。
 
晴はそのことを見破っていて、涼介との練習をやめてしまうのだった。私は伴走者というのは、パラスポーツの世界の中だけでなく、普段の私たちの生活にも関係のある話ではないかと考えるようになった。例えば親子関係や、被災地における被災者とボランティアの関係。助けが必要な人と、助けてあげる人。
 
片方が一方的にしてあげたり、してもらったりではなく、お互いの幸せのためにつながってゆく関係になれたらよいのではないだろうか。
 
(40代女性)
 
 
伴走者

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