読書感想文「アンのゆりかご―村岡花子の生涯 (村岡恵理)」

ルーシー・モンゴメリ原作「赤毛のアン」シリーズを翻訳家村岡花子が主人公。その少女時代に貧しい農村から東京のミッションスクールで寮生活を送ることになる冒頭から面白い。「髪には、おリボンつけなくは…」上流階級の子女に混じって、全く解らない英語だけの授業、ナイフとホークの食事に四苦八苦。貧しい農村では考えられない世界に給付生として放り込まれた。そこで猛烈に勉強する。原書で書かれた本も含めて図書館の本を読破した。努力して次第に教師たちにも一目置かれる存在になった。寮生活で親友になった華族の娘との友情には涙した。長じるに連れて、様々な文化人・著名人達と交流を持ようになった。自然にそういうふうになってゆく様は何か「持っている人」だ。ミッションスクールを卒業してからも花子が培った英語力が活きた。仕事でも翻訳を即戦力で使えた。また、アメリカ占領下で、飾り物の短剣を武器だと誤解され投獄されそうな人を助ける。説明するために裁判に立つ。それは「眠れる武器」であると英語で訴えた。流暢な英語と論理的な弁論に、アメリカ人の裁判長は「あなたは弁護士かと尋ねる」しかし冷たくいいえと答える。裁判長は「あなたはボーシャのようだ。ボーシャは知っているか」とシェイクスピア作品の名が出てきて花子は微笑をかわした。この場面は胸がすく。花子は愛のない結婚を断固拒否する。二十歳そこそこで結婚しないと「行き遅れ」の時代に流されない。別居中とは言え病気の妻と子供がいる人と許されない恋に苦しむ場面での書簡の内容は正直「恥ずかしい」と今の時代の人なら少なからず感じるものだ。

そして、このような文通を通して愛が育まれてゆく様は新鮮だ。やがて恋は実って妻子ある男性と結婚。子供も授かるが幼くして病死。どん底から這い上がるのも、クリスチャンの力を見せつけられる。自分の子供に注いでいた愛を全世界の子供たちに向ける「小我ではなく大我へ」の悟りは感動である。児童文学に献身する。欧米と比べて日本に少女小説が無い事を嘆いていた花子。そこへ大戦で母国に帰るミッションスクール時代のカナダ人教師から「赤毛のアンを翻訳して欲しい」と原作を渡される。当時の日本人が触れることなど到底できなかった、欧米・カナダ文化の中で主人公が活躍する小説だ。運命とはこういうことか。空襲警報が鳴る度に風呂敷に包んで原稿を持って逃げる。小学生の頃から親しんできた赤毛のアン、それに続くシリーズは何十年経っても時々読み返す。ほぼ12巻で完結とされているが(その後のシリーズもある)一冊につき百回は読んでいる。何度読んでも面白い。カナダの生活様式や、様々な文化。そこに出てくる美しい自然が好きだ。作者については多少知識はあったが、なるほど翻訳家がいなければ幼い頃から読めないわけだ。その翻訳家にこのような波乱の人生がありとても魅力的な人物だったのだと感心した。

 

(40代女性)

 

 

ブログをメールで購読

メールアドレスを記入して購読すれば、更新をメールで受信できます。

 

 

 

村岡恵理作品の読書感想文はこちら

コメントを残す

シェアする