読書感想文「まっぷたつの子爵(カルヴィーノ)」

善と悪とは何だろうと考えさせられた。人間には、善と悪の心がある。そのバランスは人によって様々だろうが、この二つはお互いに関係しあっている。もしこの物語のように、完全な善や完全な悪を体現する人物がいるとしたら、それは物語中の描写と同様に、はた迷惑な存在なのだろうなと思う。完全な善は人を心苦しくする。

 

善とは文字通り良いことなのだとは思うけれど、良いことであるがために重荷でもあるのではないだろうか。つまり、善は正しいが、正しさ故に人を追い込んでしまう。なぜなら、そこから少しでも外れてしまった人間は、正しくないという烙印を押されるからだ。人の役に立つことは素晴らしい。他人に心配りをしたり、困っている人を助けるのは立派なことだ。それが表面的なだけの偽善ではなく真心から出たものなら、そういう善をなす人は本当に尊敬に値すると思う。

 

 

それは綺麗ごとではなく、本当に綺麗なのだと思う。だが、そう思ってはいても、完全な善を体現する人が身近にいたら、結局は気が重くなってしまうように思う。完全な悪は、これは言うまでもなく迷惑だ。例えば一言に悪と言っても、何か同情に値するものだったり、どこかに少しくらいは良い面を含んでいる場合もあるが、完全な悪ともなれば、それはひたすらに人を不幸にするだけだからだ。そんなことをする人間には、そばに近寄りたくもない。

 

ところで、人間は普通、善も悪も持ち合わせている。そして、この両者の間で葛藤する。正しいと分かっていても出来ないことはあるし、悪いと分かっていてもやってしまうこともある。善行をなそうと思っても悪の心がそれを阻んだり、悪行に気持ちが傾いても善の心がストッパーの役割を果たし、結果的に善も悪もあまり極端ではない形で現れるのが普通だ。もし、完全な善あるいは完全な悪であれば、悩むことなど何一つないだろう。それはある意味では楽なことだと思う。

 

例えば若い人が理想主義に傾倒しやすいのも、青春期の悩みから脱却するためだったりする。一つの考えで自分を塗りつぶしてしまえば悩まなくていい。全てがクリアーだ。しかし、それは同時に柔軟性がないということでもある。硬いもので叩けば痛いが、柔らかいもので叩いても大して痛くはない。同様に、ある一つの考え一色になって柔軟性を失えば、それは巡り巡って痛みをもたらすのではないだろうか。結局のところ、善悪両面を持ち合わせるからこそ人間は愛すべき存在なのだろうと思った。

 

(30代男性)

 

 

 

 

 

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