だめだ、いけない。その部屋に、その壁に近づいてはいけないのだ。読んでいる間、殺人を犯した凶悪な酒乱の男、この本の主人公の、罪が露呈することを、私は極度に恐れていた。この男に同調して、どうにか妻の死体のありかがバレない事を、祈ってさえいたのだった。
この本を手に取ったのは、小学生の頃だった。学校の図書室で気まぐれに借りたこの「黒猫」という本には、読みはじめから常に不穏な空気が漂っていた。それまで幸福なファンタジー小説ばかりを好んでいた幼い私は、その怪しさに何故だか読んでいる事自体が悪いことの様に感じ、大人に隠れてこそこそと読み進めた。
今考えてみても、何故その様な感情を抱いたのかわからないけれど、もしかすると主人公に必要以上に肩入れしている自分に、知らず知らず恐怖し、罪悪感を抱いていたのではなかろうか。可愛がっていた黒猫を、酒に溺れてうっかり手にかけてしまい、罪悪感から良く似た猫を拾ってきた男が、次第に罪に怯え、狂い、妻を殺すまでに転落していく様を、胸を高鳴らせて読み進めている自分が、怖かった。
今でも、ベッドに持ち込んで、ドキドキしながら、親に隠れて夜更かしし、興奮ぎみにページを捲っていた記憶が、タイトルを聞いただけで、まざまざと思い出せる。それほどまでに、この小説は、私のその後の読書人生に、深い影響を与えた小説だった。
最後男の罪が、黒猫によって呪いのように露呈した時、あれだけ恐れていた事だったのに、不思議と爽快感があり、解放された気がした。あぁ、無事に元の自分に戻ってこれたとほっとしていた。小学生だった私に、この本は悪いことは必ず露呈する。
悪いことをすると、その罪悪感はどこまでも追いかけてきて、日常さえも蝕み、変えてしまう物だと、教えてくれた。小さな悪事が、呼び水となって、どんどん大きな罪を連れてくる。そんな恐怖を植え付けてくれたのだ。小説の主人公と、いつしか一体になって、小説を疑似体験する。そんな楽しみを初めて教えてくれた、大切な一冊である。
(30代女性)
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猫が鳴いていた。なぜ鳴いていたのか?それはおそらくトリックとしてのホラーものだろう。というのもゴシックホラーの書き方は幻想に対する懐疑が生まれてから書かれたものであり、それは現実的な解釈とともに幻想的・怪奇的な解釈のあいだで揺らぐものなのだ。
エドガー・アラン・ポーの黒猫から何を得たのか?答えるのは難しいがそれは自身の過去に対する懐疑でありそれはおそらくトリックが引き起こす最大の効果、つまり疑惑であろう。怪奇とは我々自身でもある。
生物にしても化学にしても、あるいは人生にしても何とままならぬものだろうか。その黒猫のようには。いや断言するのは控えたい。なぜなら想像力は現実的な解釈も必要だから。とつまるところ私たちは幻想に対する懐疑を学ぶべきではないか?それは馬鹿げた思想、幻想なども現実的な解釈のみによって解釈すべきだ。という客観的姿勢であろう。
つまりエドガー・アラン・ポートは幻想などを信じていなかったのだから。私たちは幻想を信じない。理想も。虚構も信じない-楽しむことはあるだろうが-つまり文芸などに価値はないことをここに述べておきたい。馬鹿げた思想など信じるに値しない。この見解は、狷介か?友情を保つのは難しい。そう思う。
私たちはあり得ないことを信じていなかったのだから、エドガー・アラン・ポーはミステリを作ったが結局のところ全てはリアリズムでしかないのであろう。では私たちはなぜエドガー・アラン・ポーの黒猫を読むのか?それは文化だったからだ。としか言いようがない。
過去という膨大な時間にひとびとが残した文化をしることは大切だとは言えるだろう。一定の懐疑とともに。私たちは文化を信頼していない。予算を消費し格差を生み出し支配権力の公権力としての文化を。小説や情報などを安易に信じるな。それだけを述べておきたいのです。なぜなら公権力は文化を生み出し支配する。文芸も権力の産物でしかないのだから。
(30代男性)
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