読書感想文「聖の青春(大崎善生)」

主人公は村山聖(さとし)という棋士である。羽生善治と同世代らしいが将棋には疎い私にはまったく知らない名前だった。昨年、松山ケンイチ主演で映画化されて興味を持った母が買ってきた。私はそれを拝借して読んだのである。一言で言うと真っ直ぐに何かを追い求める姿はこんなにも人の心を打つのか、という事であった。村山は幼い頃に腎ネフローゼという病に冒され、運動を制限されて病院のベッドで将棋の勉強を始めるのだ。将棋なら体力が無くても出来る。そしてその世界はとても深い。小さな少年はやがて一つの夢を持つ。それは「名人になりたい」という事。知らなかったが将棋の世界の名人とはプロの中の最高峰である。その為に中学在学中に親や親戚に頭を下げて奨励会に入門させてくれと言う。奨励会とはプロになるための登竜門。まず誰かの弟子になってそこで勉強するのだ。聖の熱意は親や親戚を動かし、紆余曲折の後無事に奨励会に入門する事ができる。内弟子をしながら中学に通い、将棋の勉強に勤しんだ。師匠の森とのやり取りも心が温かくなる。村山の病気は相変わらずで無理をすると寝込む。ただすぐにでも治りたい一心でトイレに行く体力さえ温存して回復を待つのだ。早く治って将棋の勉強がしたい。奨励会にも顔を出したい。その一心。その火のような情熱を感じ、腎ネフローゼでどれだけ歯痒い思いをしたんだろうと思うと胸が熱くなる。もっともっと思う存分将棋の勉強がしたかっただろうに。短命である事を覚悟し、それ故焦り、しかし焦ったところで病気は去って行かない。そのいつも命がけのような、ギリギリのところで将棋を指し続けた聖。プロになっても対局に行く体力が無く道路にへたり込む。そんな時いつも車に乗せてくれる近所の人。そんな体でも出来るだけ人生を楽しもうとした軌跡。一人旅を敢行し、麻雀を打ち酒を飲みケンカもした。少女漫画に埋もれた下宿、体調を崩しては母親を呼び、そのくせ腹を立てて追い返す。ひたすら、ひたすら聖は精一杯生きたのだ。どんなに悔しかったろう、悲しかっただろう…でもどんなに幸せであった事だろう!夢の持つ力の素晴らしさ。それを追い求める事の出来る幸せ。名人を目の前にしてガンに侵され29歳で亡くなった村山聖。彼の清々しいまでの生き様に胸を打たれるのである。
 
(50代女性)
 


 

 
 
将棋棋士村山聖の生涯を感動的に描いたノンフィクションの内容だ。この本を読んだきっかけは映画化されるということが理由だった。私はそれまで将棋に興味もなければ村山聖という名前すら聞いたことがなかった。だからこそ内容は新鮮で自分が興味のなかった分野だったせいもあり引き込まれるように勢いよく読み切ることができた。村山聖は29年という短い生涯の中でその倍以上も生きたかのようなとても濃い日々を過ごしていた。何不自由のない生活をしている自分にはわからない苦しみや葛藤の日々は心に響き自分の人生を振り返るきっかけを与えてくれた。病気が発覚したのは幼い頃だった。幼い少年が必死に自分の病と向き合いながら生きようとする姿は本当に感動的だ。幼いながらに自分の置かれた状況を理解してなんとか生きていく中で出会った将棋という世界は本当に彼にとって天職と言えるような場所だったのだということが本当に伝わってきた。しかし天職といってもそれに見合うくらいの壮絶な努力をしていた。やはり天才というのは数パーセントの人間だけで後の人は努力の天才なのだということを聖から学ぶことができた。また見た目のコンプレックスというものを常に持っていて病気のせいで上手く生活できないのだけど、それを隠そうともせずにありのままを受け入れている姿には本当に心をえぐられるような感情になった。普通にできることができない、普通の生活がこんなにも大変な人がいるということも聖から教わった気がした。普通ということがどれだけ幸せなのかということ普通に生きることがどれだけ幸せなことかということを感じずにはいられない内容だった。命を削ってでもやりたかったことができた聖は本当に悔いなく人生を終えたのだということを信じたいと思った。後悔しながら死んでいったわけではないそう自分に言い聞かせたくなるようなハッピーエンドではないけれどそういう風に思いたくなるような結末だった。聖の青春はまさに自分にとってこれから生きていく糧になることは間違いない。
 
(30代女性)
 


 
 
聖の青春は29歳という若さで亡くなった村山聖という実在した棋士を題材としたノンフィクション作である。まずこの作品を読んでつきつけられたのは「自分はふがいないな」というものだった。この作品の主人公である村山聖は29歳で亡くなってしまう。彼は自分の命が短いことを知っていて病気と闘いながらも毎日を懸命に生きていく。将棋で誰よりも強くなるという目標を持って―果たして自分はどうだろう。自分は健康である。病気はない。しかし、夢がない。毎日を生きていく懸命さがない。でもいつまでもこの命があるといえるだろうか。いや、いえない。もしかしたら明日、死ぬかもしれない。明日でなくとも1時間後には死んでいるかもしれない。そう考えた時、私は毎日をただただ消化しているだけという事実に恐ろしさを感じた。朝、起きて、飯食って、会社に行って、7時ごろになると帰ってくる。毎日のルーティン。仕事も別にやりたいものじゃない。仕事に対して誇りもない。村山聖にはしっかりとした目標があって、やりとげたいというものがあった。私も彼のように命は有限であり、しかも短いものだということを自覚して生きたほうがいいと思った。やりたくないことをやっている暇はない。やりたいこと、好きなことをとことん追求していく人生。そんな人生を送れたらたとえ短くても素晴らしい人生であったといえるのではないだろうか。村山本人がどう考えているかは分からないが、少なくともこの本を読んで私はそう感じた。これからどう生きていくか。やりたいことはできるだけやっていきたいと思う。めんどくさいから、お金がないから、忙しいから、となにかと理由をつけてはさきのばしにしていたことをやめたい。今日できることは今日やる。これを徹底したい。そしてなにより一番大事なのは命である。命があるから喜びや感動を味わえる。やりたいこともできる。命をあることに、生かされているということに感謝し、今を懸命に生きていきたい。
 
(20代男性)
 


 
 
同名の映画があると知って、まずは小説の方から読んでみようと軽い気持ちで手に取ったが、不覚にも涙で酷い顔になってしまった。短い生涯を送った人だが、現在やりたいことに挑戦もせずに過ごしている自分と思わず比較してしまった。そして言いたいことも言わず人に合わせて生きている自分を恥じてしまった。もしも病気がなくても将棋士という仕事は企業にも属さず、何の保証もない仕事だ。そして学歴も何も関係なく、将棋盤の上だけで勝負する。言い訳も一切通用しない。負けたら、結果はそれだけ。体がゾクゾクする感覚に襲われた。こんな風に生きてみたい。いつ死ぬかわからない自分の人生だ。このままで終わるのか?そう何度も自分に自問しながら一気に読んだ。そして彼の人との付き合い方も私には刺激になった。こんな事を言ったら嫌われるかな?と人の反応をみてばかりの自分。でも結局、誰の心にも響かない言葉を無難に発してるだけの自分。一体何やってるんだ、自分。。。純粋に聖はかっこよかった。彼には何せ時間がない。長くは生きられないとわかっている。だから会いたい人に会い、言いたい事を言うという。。でもそれだけじゃないんだ。なんだろう、そんな計算も多分していないだろうと思わせる数々の言動。心からしびれるし、しびれた。読み始めると止まらなくて、こんなかっこいい職業があったなんて知らなかった。はっきり言って。メガネかけて真面目そうなイメージしかない職業だった。でも彼は勝負し続ける。燃え尽きるまで。いいな、いいな。私もそんな風に生きたい。いや生きてみせる。息子にも伝えよう。自分の頭で考えて生きろ。人と同じ人生を生きたいならそれでもいいけど、こんな人生や職業もある。ゲームが好き?それでもいいよ。それが本当に好きなら。極めるんだ。何度も何度も挑戦して。表面的な理解で終わるんじゃなくて深く深く理解する。人が何と言おうと聞こえないフリだ。久しぶりに心が震えた。
 
(40代女性)
 
 

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