体験した瞬間に出来事は過去になり、体験によって生じた感情も同時に過去へと流されていく。それらは脳の片隅にありつつも、多くは脳のダストボックスへと送られ、再び浮かび上がることなく過去として廃棄されていく。人間にとって自然な現象、自然な在り様。廃棄される多くの出来事や記憶は捨てられるだけの価値だけしかなく、覚えておくだけの価値が薄い。
いわば特筆すべき鮮烈な印象がないものの多くを、私たち人間は自然に捨て去っている。それが普遍的なあり方だと、この本を読むまでは感じていた。それが決定的な印象で覆されたのは、この本を読んでからのことだった。この本はなにも起こらない。なんの波も生じない。事件もない、人殺しもない。どろどろとした人間関係もなければ、膿のように残留した悪しき感情をぶつけ合うこともない。
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幼い日を過ごした二人の女性、貴子と永遠子が、25年ぶりに再会し、旧交を温める。それだけの本である。だが、そのあまりの平常さ、そのあまりの日常さが、目の前の光景を水で洗ったようにクリアにし、それまでの心持をまるで一変させた。貴子と永遠子が心内、外的で語る、あまりに平凡な過去の光景が、世の中の全てには価値があるということを、ありありと教えてくれたような気がした。
貴子と永遠子が作中で語る過去の出来事は平凡で、興趣もなく、およそ誰でも経験しているような普遍的な記憶である。それが作者の手で瑞々しく、色彩鮮やかに書かれた時、私は自身の過去すらも生き生きと蘇ったように感じ、自身の過去に、実は宝物がたくさん隠されていた可能性を思った。人生における強烈な記憶、人生を変えた経験は、数少ないこともあり、今でも鮮明に回顧することができる。
それらは排除されることなく脳に留まり、現在の私にも可視の影響を与えている。だが、そうした印象深い記憶だけでなく、廃棄された不必要な記憶にも価値があるのだとすれば、私たちの人生というものは大変に愉快で、自身が思っているより大層に価値のあるものだということになるのではないか。本書を読んで、私はそう感じさせられた。体験、未体験の全てが、輝きをもって眼前に現れたような気がした。
(20代男性)
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