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読書感想文「思い出のマーニー(ジョーン・G・ロビンソン)」

初めて宮崎駿が関わっていないジブリ映画〝思い出のマーニー〟を見て、とても感動したので、ぜひ、原作を読みたいと思い、この本を借りたのがきっかけだった。この作品のストーリーは、肉親と死別して、継母に育ててもらったアンナが、学校のクラスメイトにうまく馴染めず、
 
頭はいいのに〝頑張ろうとしない〟ため、継母であるプレストン夫人のはからいで、ひと夏の間、ノーフォークの優しい老夫婦の元で暮らすことになる。そこで、アンナは自らの孤独を楽しみながら、無人の浜辺を彷徨い、歩くのだが、その海の入江のところに立つ、謎めいた館に住む、不思議な少女、マーニーと出会う。
 
自分は外側の人間であると思い込み、何も考えず、何もしないことに無上の喜びを感じながらも、どこか虚ろさを自覚しているアンナが、自分と気質の似た、マーニーと出会うことで、お互いの孤独を反発しながらも、一緒に癒していくというものになっている。私は、こういった、孤独を抱いた人が、希望を抱いていく話が大好きなので、時間も忘れて、一気に読んでしまった。
 
この作品の好きなところはたくさんあるが、なかでも一番好きなシーンは、アンナとマーニーがお互いに嫉妬するシーンだ。アンナは、継母が自分を養うためのお金を、国からもらっていることを見てしまい、自分はお金のために養われている、と考えて、優しく接してくれる継母の愛を拒み、そして孤独に陥っていた。
 
その反面、マーニーは、両家の子女らしい、上品な家庭で育ち、幸せな家族像の図にぴったりの暮らしをしていたのだが、両親は忙しくてあまり家に帰ってこれず、薄情なお手伝いや、メイドたちに囲まれて暮らす、アンナとはまた違った孤独を抱いていたのだ。
 
だが、両親がいないアンナにとっては、そんなマーニーが羨ましく、そして、両親がいても、あまり帰ってきてくれないマーニーにとっては、継母がいつも愛してくれるアンナのことを羨ましがる。お互いがお互いを羨ましがるなんて、なんたる皮肉だろうと読んでいる時、私はそう思った。
 
このシーンのいいところは、少し歪だけれど、2人の未成年さながらの、危うく揺れ動く少女の心の動きの繊細さが、とても丁寧に描かれているところだと思う。おかげで、とても陶酔することができた。この本の描き方は、曖昧だと私は思う。だけどそれがかえって、うまく説明できない、細やかな感情、もやもやとした、言語化されない痛み、苦しみをより深く表現できていると思う。
 
明確でなく、あえて曖昧で、あとは読者の判断に身をまかせるような、余韻を残すその描き方が、この2人の少女たちの繊細な心をうまく表していると思う。私は、小説を書くことが趣味なので、これを読んだ時、なるほど、こういう書き方もあるのかと、とても勉強になった。
 
(10代女性)


 
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私がこの本を手に取ったきっかけはジブリ映画の「思い出のマーニー」を観たことだ。映画を観て、数あるジブリ作品の中でも一番好きだと思えたことが、出不精な私を本屋へと誘うものだった。そして映画を観たからこそ原作を知りたいと思えたのである。普段から本を読まない私にとって、あらすじをある程度知っているのは読みやすい要因の一つだった。
 
主人公のアンナは、なんだか私に似ている。「 私は私の通り。不機嫌で、不愉快で。私は私がきらい。」というセリフが胸に突き刺さった。まさに私のことである。そう思うとアンナの心情が伝わり、私を素直にしてくれた。私の悩みをそれこそダイレクトに文章にしてくれたのがこのセリフだ。これまで出会った物語の中で、私の心情を投影したものはなかった。
 
私はなぜこんなにふさぎこむような人生になってしまったのだろう。昔はそれなりに人と話したりすることは避けてはいなかった。ところがここ何年かで不機嫌で、不愉快になってしまったのだ。その原因もなんとなくはわかっている。私はアンナのように、素直になれなかったのだ。
 
作品の中で出てくる、おばさんと呼ばれるアンナの義母がいる。そのおばさんに対して素直になれなかったのではないかと考える。マーニーに出会うことにより、アンナが変わっていく様子は、私にとって理想とする成長である。アンナは療養のため、海辺の村で過ごすことになる。そこでマーニーの旧友とアンナは知り合う。
 
その旧友に、義母を「母です」と紹介する場面がある。まさにアンナの心の荷がおり、素直に行動できたものである。作品の魅力は、アンナの心情だけではない。療養のために訪れた海辺の村の風景は、細かく描写されている。行ったこともないところを文章の描写だけで想像できるのは、先に映画を鑑賞したせいかもしれない。
 
しかし、映画で取り上げられなかった砂丘や、湿地の水中の描写は想像できた。とても美しく、悲しげな風景が眼に浮かぶ。その悲しげな空模様がアンナの心情を映し出しているように感じる。すっきりしない、曇り空だ。
 
アンナの空は、曇り空から豪雨にかわる場面がある。それはマーニーの裏切りだ。といってもマーニーはそんなつもりではないのだが。私にはこの裏切りがなんとも切なくてたまらない。アンナを素直に受け入れ、微笑み、優しくしてくれたマーニーが、裏切ってしまうという場面。私はこのような裏切りにはきっと耐えられないだろう。しかし、アンナは泣きながら許す。
 
許しというのは本当に尊敬できる行為だと思う。私には許すということができるのだろうか。裏切られたり傷つけられたりしたとき、反発したいという気持ちは誰しも持ち得ることだと思う。それを許すということは裏切りの行為を認め、受け入れるということだ。
 
反対に、自分が故意でなくても相手を裏切る形になってしまったとき、相手が自分を許してくれたなら、とてもありがたいと感じるものではないだろうか。アンナは許し、マーニーも安堵したのである。アンナには、過去に対する憎しみや怒りがあったに違いない。しかしそれを許したのだ。なんて素直な人なんだろうと尊敬する。私もアンナのように素直になりたいと思うのである。
 
(30代女性)
 
 
 
 
 

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