読書感想文「残酷な夜(ジム・トンプスン)」

これは「生と死」の物語である。トンプスンはこう言っているはずだ。「生こそ死であり、死こそ生である。」と。主人公のビゲロウは殺し屋だ。だが一見するとそうは見えない。身体は小さくティーンエイジャーのような顔つき。だが彼は最高の殺し屋であり、その正体を知っていながら生きているものはいない。

 

彼の今回の仕事は、ある裁判で証言することになっている男を消すことだ。その男は学生相手に下宿を営んでいる。そこにビゲロウは潜り込んだ。あくまで学生のふりをして。その下宿には女中として一人の女の子が働いている。彼女の名前はルーシー。

 

彼女は貧乏で大家族だ。その家族を養うために一生懸命働いている。それも大学に通いながら。彼女には片足がない。正確に言うと膝から下がなく、膝先に小さな赤ん坊のような足がある。最高の殺し屋の男と障害を持った働き者の女。彼らの人生が交錯した時、「生と死」の歯車が回転を始める。

 

 

ビゲロウは人々に死をもたらす、存在しない男。彼は死の象徴として描かれている。ルーシーは自らの家族を養うために働き、より良き未来のために大学に通っている。障害を抱えながらもだ。そして、膝の先にある赤ん坊のような足。そう、彼女こそ生の象徴。二人は出会い、愛を交わし、子を宿す。

 

そこから二人は一人になり、生の背中に死が纏わりついた。その結果、死の象徴であるビゲロウはルーシーに生命を宿した。では生の象徴であるルーシーはどうだろうか。彼女は物語の終盤、自らの手により、ビゲロウに死をもたらす。

 

ビゲロウは斧でズタズタにされ、手足をもぎ取られ頭をかち割られ、暗い暗い地下へと落ちていく。彼は必死に這っていった。まるで精子が卵巣を目指すかのように。最後に彼はこう言った。「そいつは、いい匂いだった。」と。そう、彼が辿り着いたその場所がまるで羊水の中であるかのように。

 

全ての人々が生を享受しているこの世界こそ、地獄なのではないか。死こそ生命の喜びに満ちた天国なのではないか。この物語に救いはない。しかしそれが生きるということだ。少なくとも私はそのことを胸に刻んだ。

 

(30代男性)

 

 

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