「学問のすすめ」の読書感想文①
この本で何より驚いたのは、筆者が日本の独立について強い危機感を抱いていたことである。思えばこの本が書かれたのは明治初期である。開国して間もなくの日本である。いつ外国に乗っとられてもおかしくない状況にあったのだろう。
そんな状況下で、筆者は学問の大切さを説く。なぜ国の独立に学問が重要なのかはここでは述べない。述べたいのは、筆者のぶれない姿勢である。なかなかの長編だが、一貫して、国の独立のために学問を身につけることを語っている。筆者の、自分の論を伝えようとする必死さがひしひしと伝わってくる。
背水の陣、という言葉がある。背後に川を背負えば逃げようがなく目の前の敵と戦うことに集中するしかない。そんな悲愴さが、この本からは感じられる。とにかく、論理が一貫しているのである。学問を通して精神的な独立を打ち立てよう。この一本である。
実際に論じられている対象はさまざまである。冒頭で率直に学問の大切さを説くほかに、学者の仕事について述べるもの、法律について述べるもの、人間関係について述べるものなどなど。しかしどれも、向かう先は「独立」の一点である。個人の独立についても盛んに論じるが、それは最終的に国の独立につながるからという視点で語られる。
筆者のこの姿勢に、私はショックを受けた。自分がいかに危機感なく生きていて、思考を散漫にしていたかに気付かされたからだ。やりたいことはたくさんあって、それを実現するための方法もたくさんあって、という時代に私たちは生きている。豊かになったということだ。
日本が他国から侵略されそうな気配も、少なくとも今は、ない。それでも、こんなにのんびりと生きていていいのかと、この本を読むと思う。現代にあっても危機感を持っている人のことを、本書を読んで思い出した。危機感の対象は日本の独立ではなかった。私が以前勤めていた会社の独立および存続だった。
社長は、一人の時はいつも険しい顔をしていたことを思い出す。1代でその会社を築き上げた。消しゴム1個でも理由がなければ買わないが、理由があれば大金を投じて勝負に出た。非常に明晰な判断力を持っていた。危機感の賜物なのかもしれないなと、本書を読み終えて彼の顔を思い浮かべた。
本書の随所から感じられるのは、筆者の志の高さである。ふつう仕事をして生計を立て、一家を養う人はそれだけで称賛され得るし、本人もそれを受け入れる。しかし筆者は「蟻の所業をもってみずから満足する人」と批判する。そんなことは蟻でもできる。そんなことを代々続けていたら社会は全く進歩しない。
進歩しなかった結果は、トルコを見よ、インドを見よ、中国を見よ、ということになる。かの国のように侵略されたいのか。時代は違う。特定の職業の人を除けば、日本の独立を心配する必要もない。しかし、志は必要である。そうしなければ社会は進歩しない。何より自分が進歩しない。
「一身独立して一国独立す」だ。立ち止まることに対する危機感を、私は本書で得た。これからの人生で、挑戦すべきか迷った時、私は本書を思い出すだろう。
(20代男性)
「学問のすすめ」の読書感想文②
「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という書き出しで有名な作品だ。この本を読むまでこの言葉はどんな人でも皆平等であるという意味だと思っていた。しかし、この本を読んで考えは少し変わった。明治時代に書かれた本に感銘を受けることがあるのだろうかと半信半疑で読み始めたが、福沢諭吉の考え方も福沢諭吉という人物も今読んでも新しいと思った。
学問のすすめというタイトルからわかるように学びについて多く書かれていた。この本を読んだ感想としては、人は皆平等ということはなく使う人間と使われる人間がいるのだということ。人を使う人間になりたいと思ったことは特になかったが、使われる人間になりたくないのであればとにかく学び、独立することが何より大切だと思った。
独立という意味を読めば読むほど考えさせられた。内容は白か黒かというものが多く、納得することも多かった。「人は進化か退化しかしない」という言葉に現状維持という選択肢はこの人にはないのだろうかと初めは思っていたが、世の中は日々進歩しているので現状にとどまるということは世の中の流れに乗れず退化していっていることなのだと改めて気づかされた。
白黒はっきりしている話題ではほかにも利のないものは害であるというようなものがあった。世の中は物事でこんなにもあふれているのだから利益にはならなくとも害にもならないような、自分の人生に影響を与えないものはたくさんあるだろうと思っていたが福沢諭吉にはそういうグレーゾーンのようなものはないのかもしれない。
確かに世の中は不要な選択肢に溢れすぎていて必要な選択が必要な時にできない可能性がある。このことを考えればやはり利のないものは害なのかもしれない。内容そのものには当然時代を感じる内容は多くあるのだが、福沢諭吉という人間の考え方は決して古臭く感じることはなかった。
女性の地位が今よりも弱い時代にも関わらず、男尊女卑の不合理についての話が出てきたことは自分が女性であるからかとても感心してしまった。今も昔も変わらない日本人の性格も垣間見ることができたと思う。それが多くの害は一転して美徳にもなるが、怨望だけは害でしかないというものだ。他人を妬む心は自分を高めることなく相手を下げる行動を起こさせるからだ。
他人を羨ましく思い自分も近づきたい、超えたいと思うのは自分を高める行為になるが、怨望は成功した者の悪い噂を流したりと誰も得することがない。現代のSNSでもそのようなやり取りが垣間見れることがある。この感情は明治時代にはしっかりと害であると書籍にも残されているのに、進化が止まっている証拠なのかもしれないと思った。
怨望には生産性がないということは誰でも薄々感じているとは思うが、せっかく書籍で目にしたのだからこのような生産性のない感情に支配されて無駄な時間を過ごさないように気を付けたい。この本で私が最も福沢諭吉という人物に興味を抱いたのは「私は、学も浅いし見聞も広くない」という言葉だ。
時代を超えて多くの人間に影響を与え、日本最高紙幣の肖像にもなるような人物がなんと謙虚なことを言うのだと初めは感じたが、読み進めているうちに考えが180度変わった。個人的な意見だが、福沢諭吉は日本のこと、世界のこと、とにかく多くのことを自分で理解したいと思ったのではないかと思う。
そのためにこの程度の学びでは足りないという意味であの言葉を書いたのではないかと思うと、一人でそんなにも多くのことを知りたいとは何て傲慢なんだととても興味がわいた。ここは私が個人的に傲慢だと感じただけで、当然謙虚に感じる人もいると思う。
ただ、私は学問のすすめを読み進めていった結果、学ぶことにもっと貪欲にならなければならない、もっと貪欲に質の高い学を身につけなければならないと思ったので福沢諭吉の言葉が傲慢に感じたのだと思う。今の時代も人工知能の急成長などで、現状維持では急速に時代の流れに置いて行かれることになると思う。だからこそ貪欲に質を追求した学を身に着けていきたいと思った。
(20代女性)
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